第五話 白き玉と母の願い
三月十五日。 真白は近長谷寺に使者を立てることにした。[注2] 「では、真白さま。行ってまいります」 やや緊張した面持ちの乳母に、真白は笑いかける。 「そんなに畏まらないでもいいのに」 「ですが、これは真白さまと寛子さまのための使者です。張り切らないほうがおかしいです」 乳母は真白よりも母と長い時間を過ごしてきた。最期に立ち合えなかった無念さは真白以上かもしれない。 「では、こちらを。よろしくお願いします」 白玉の入った箱を託そうと、手を伸ばした。 しばらく迷ったが、白玉の添え書きには施入者として『徽子斎王』と名を記した。徽子でも、徽子女王でもない。退下が決まっても、この白玉には斎王だったことを残しておきたかった。 「私が、闕(か)けた斎王でなかったら、母さまを救えたかもしれないのに」 ずっと思っていたことが、口からこぼれてしまった。手が震え、箱が揺れた。 俯いていると、乳母が真白の手を包み込んだ。 「それは違いますよ。真白さまのお祈りは、むしろ届いていました。ここ数年、寛子さまは病を得ていましたが、真白さまに会いたいと力を振り絞っていたようです。その力の源は、あなたさまの祈りですよ」 「わたしの、いのり……」 白い箱の上に、ぽたりと雫が落ちた。真白の流した涙だった。 「では……私は、母さまのためになっていたのですか」 「ええ。届いていました。しかも、とても大きな力になっていましたよ」 一度泣いてしまうと、止まらなかった。声を上げないように唇を噛み締めるが、涙は頬を伝ってゆく。 母の声で、『真白』と呼んで欲しかった。笑いかけて欲しかった。 「真白さま、これは定めだったのです。都へ帰ったら、重明さまのお支えとなり、幼い弟妹がたを助けましょう。この乳母や、娘の照葉も尽くします」 乳母が真白の涙を拭いてくれた。母の病について、無言を貫いた乳母の苦しみに真白は思い至った。頷きながら、箱を渡す。 「ありがとう。頼りにしています」 ふと、振り返れば、照葉が両目を真っ赤にしていた。やはり声は出さないよう耐えていたらしく、きゅっと唇をきつく曲げている。 「ま、ま、真白さま……! 私もおそばを離れません。地獄にだってお供します」 必死の照葉を見ていたら、真白の涙は乾いてしまった。 「照葉もありがとう。頼もしい限りです」 几帳の影から、寺に向かう乳母を見送る真白と照葉は、その頬に晩春の風を感じた。鈍色の袖がかすかに翻る。咲きはじめた藤の花がやさしく揺れていた。 真白十七歳の春は、静かに去ってゆく。 伊勢の近長谷寺に施入されたこの白玉はやがて斎王ゆかりの寺宝となり、長く伝えられることになる。 (続く)
注2 『平安遺文』所収、『近長谷寺資材帳』に、
〈実録〉近長谷寺堂舎竝資財田地等事 合〈○中略〉 ★白玉一丸 方
右玉以去天慶八年三月十五日 徽子斎王被施入、〈○中略〉
という記述がある。
藤宮彩貴(ふじみやさき) 東京都杉並区生まれ。東京都立大学人文学部卒業。一般企業や都内の区立図書館での勤務などを経て、2020年第3回富士見ノベル大賞審査員特別賞受賞。翌年『焔の舞姫』にてデビュー。ほかに『平安後宮占菓抄』(ともにKADOKAWA富士見L文庫)がある。趣味は寺社仏閣巡り。好きなお寺は京都・南山城の浄瑠璃寺。ほぼ毎日、一万歩歩いて作品の構想を練る日々。
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