第五話 白き玉と母の願い
誰もいなくなると、風の音が耳に届いてきた。梅の花の香りもするが、気持ちは深く沈んでいる。外はよく晴れていて、恨めしいほど明るい。 『真白へ このような形で禁を破って文を送ることになり、残念に思っている。 形見として、母の髪を送る。 父より』 ほんの少し筆先に乱れを感じるものの、父の字だった。 ◇ ◇ ◇ 『父さまへ』 そこまでは書けたが、筆が進まない。書きたいことがないのではない。むしろ、たくさんある。なのに、手が固まってしまったように動かない。 『読みました』 白い紙に、ひとことだけ記して筆を置く。たったの五文字なのに、ひどく疲労を覚えた。頭が痛い。署名する気も起きなかった。
そっと、文を確かめる。表には、黒々とした大きな字で『真白へ』とある。
何度かためらったのちに紙を開くと、東三条邸の香りがした。
お気に入りの衣。たくさん遊んだ人形。合奏した楽器。手入れされた庭の木々。懐かしさに心奪われそうになる。
真白の手に落ちたものがあった。髪だ。髪、一房。文に挟まっていた。
寛子。そなたの母が、亡くなった。
詳しくは真白が帰京してから話そう。今後については父に任せなさい。
早く帰れるよう、力を尽くす。
父の文と、母の髪。
母の死は、ほんとうのことなのだ。
手のひらにある髪は冷たいが、濡羽色でしなやかさを感じる。いくら梳いても終わらないほど長い母の髪は、真白の憧れだった。それが、今はここにある。
自分は母の死に立ち会えなかった。葬儀にも間に合わない。
「娘なのに」
そして、大切なことに気がついてしまった。
――都へ、帰れる。
斎王を退き、あんなに帰りたくて仕方なかった都で、もとの暮らしに戻れるというのに、心は躍らない。帰っても、そこには母がいないのだ。
しばらく、母の髪を握ってぼんやりとしていたが、真白は筆を取った。
力を絞り出し、どうにか続ける。
照葉を呼び寄せて折りたたんだ文を預けると、真白は脇息に寄りかかり、目を閉じた。
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