第8回 ミレトス
哲学誕生の地、ミレトスを訪ねる。 ミレトスはイオニア地方、アナトリア半島の西岸、メンデレス川河口付近にあった。現在のトルコ、アイドウン県のバラト近郊である。 遺跡は今日もかなり広大な遺構が見られ、ミレトスはその盛時にはかなり有力なポリスであったであろうことがその規模からも実感される。巨大な円形劇場(今日見られるそれはローマのトラヤスス帝の時代に拡大されたものであるとのことである)、アポロン神殿、カピト浴場跡、アゴラ跡、イオニア式柱廊(ストア)、演武場、それに市場跡などである。この市場にはその入り口のところに二体の神像が立つ城門があったが、その門は今日ではベルリンのペルガモン博物館で見ることができる。ちなみにペルガモン(現在のトルコ、ベルガマ)のゼウスの祭壇もペルガモン博物館に移築され、館内に再建されている。このようにヨーロッパ諸国はギリシアの遺跡からさまざまな歴史的遺物を持ち帰り、それらでもって彼らの博物館を飾り立てたのである。大英博物館然り、ルーブル美術館然り、ペルガモン博物館然りである。このことからも彼らのギリシアへの憧れの強さと西洋文化におけるギリシア文化の存在意味が知られる。 またミレトスの街はその盛時には碁盤の目状の往路によって整然と区画されていたとのことである。これは前5世紀の前半にヒッポダモスの都市計画によって整備されたものであるという。半島の先端部の港にいたるまでの整然とした街の街路図がミレトス博物館の中に展示されていた。 その港跡であるが、今日では内陸部にある。海はどこかと尋ねたところ、10キロほど先だとの答えであった。メンデレス川が運んできた土砂の堆積によって埋まったのだとのことであるが、わたしにはこの説明はどうにも腑に落ちないということを再度ここで付言しておきたいと思う。わたしが訪ねたどの遺跡でも確認される数キロにわたる海の後退というこの現象は、そのようなことによることではなく、むしろ宇宙考古学的な問題ともいうべきものではないかというのがわたしの信念であるが、この問題について明確な回答をお持ちの方があれば是非にもご教授たまわりたい。 哲学はミレトスの人、タレスから始まるというのが今日一般的に受け容れられている哲学史上の定説である。もっともこう主張したのはアリストテレスであり、今日でもわれわれはこの点ではアリストテレスの権威にしたがっているわけである。アリストテレスが哲学はタレスからとした理由は、タレスによってはじめて自然のロゴス的(合理的)な説明が企てられたという点にある。世界の成立に関する説明はもちろんタレス以前にもさまざまな形で存在した。いわゆる「天地開闢説」(コスモゴニア)といわれるものがそれであり、その最も首尾一貫した例はヘシオドスの『神統記』の中に見出される。最初にカオス(混沌)が生じ、次にガイア(大地)とタルタノス(冥界)とエロスが生まれ、ガイアからウラノス(天)とポントス(海)が生まれ、さらにガイアとウラノスの契りからオケアノス(大洋)、その他が生み落とされた。他方カオスからエレボス(幽冥)とニュクス(夜)が生まれ、ニュクスからアイテールとヘメレ(昼)が生まれた、といったような説明がそれである。しかしこのような神話的な表象による世界説明では未だ哲学と呼ばれるには値しないのであって、哲学であるためにはやはりそこに世界の成立に関するロゴス的(合理的)な説明がなくてはならない。この自然の合理的説明をはじめて提出した人が、アリストテレスによれば、ミレトスの人、タレスなのである。 タレスは世界のアルケー(始原)は水であるといった。もっともこの「アルケー」という言葉をタレスが使ったかどうかは定かでない。タレスは一冊も書物を残さなかったといわれるからである。この語は次のアナクシマンドロスの断片の中にはじめて見出される。 アナクシマンドロスによれば自然のアルケー(始原)はト・アペイロン(無限なもの)であった。万物はト・アペイロンから出てきて、またそれへと戻って行くのだそうである。「諸存在にとって生成がそれからであるそのものへと消滅もまた必然にしたがってなされる。なぜならそれらは時の秩序にしたがって、また相互に不正の償いをするからである」(断片B1)というのが彼の哲学のテーゼである。 次のアナクシメネスによれば、万物のアルケー(始原)は空気であった。空気の濃縮化と希薄化によって万物は成立するという。希薄化した空気は熱くなり(それが火であるが)、それは当然周辺に向かい、やがて諸星を形成した。他方濃縮化し冷却されたそれはその重さのゆえに中心部に向かい、大地を形成した。アナクシメネスによれば、大地は平たいテーブル状で、空気の上に乗っている。これは空気の運動が渦(ディネー)と想定されたことからの結果であろう。アナクシメネスの宇宙観によれば、したがって宇宙は全体として平板な旋回運動をしているのである。それゆえ太陽は大地の下へ行くのではなく、大地の周りを帽子が回転するように回転するという。それが見えなくなるのは、ひとつにはその距離が遠くなるためであり、ひとつには大地の高い部分に隠されるためである。アナクシメネスの想像するところでは、太陽は木の葉のように平たく、星は釘付けされているのであった。 ミレトスの哲学者たちは以上のように万物のアルケー(始原)を想定し、そしてそこから世界を現出させて行った。後世から「イオニアの自然哲学」と呼称される哲学がはじめてミレトスで生まれたのである。ミレトスが哲学誕生の地とされるゆえんである。 哲学はミレトトスの人タレスからはじまるとするアリストテレスのテーゼそのものは是とされるにせよ、イオニアの自然哲学の所説を一貫して「ストイケイア」(元素)と「アイティア」(原因)の二概念によって説明するアリストテレス流の哲学史観にはわたしは賛同を表することができない。こういった物質の元素と原因を志向する対象志向的なアリストテレス流説明によって初期ギリシアの自然哲学は全体として未熟な科学的仮説のごときものに堕してしまったのである。ここにソクラテス以前の哲学を軽く扱う西洋形而上学の根深い伝統の発生源があったのであろう。しかしここではっきりと指摘しておかねばならないことは、彼ら初期ギリシアの哲学者たちは水やト・アペイロンや空気を「元素・構成要素」(ストイケイア)として語ったのではないということである。むしろそこに存在の原初(Anfang)とそこからの世界の立ち上がりを見ようとしたのである。「万物は神々に満ちている」(断片A22)とタレスはいったといわれるし、またアナクシマンドロスは「万物は相互に不正の償いをすることによって生成消滅を繰り返す」(断片B1)と語っている。これらの命題を単純に物理・科学的仮説に還元するのは難しいであろう。そういう意味で前ソクラテス期の哲学に存在の原初の立ち上がりを見ようとするハイデガー流のギリシア哲学史観の方にわたしはむしろ共感を表明するものである。まさにそのように「存在の原初」(Anfang des Seins)がはじめてここミレトスで立ち上がったのである。ミレトスの遺跡に立つとき、わたしはこのことを強く実感する。 クサカベクレス 1946 年京都府生まれ。別名、日下部吉信。立命館大学名誉教授。1969 年立命館大学文学部哲学科卒。75 年同大学院文学研究科博士課程満期退学。87-88 年、96-97 年ケルン大学トマス研究所客員研究員。2006-07 年オックスフォード大学オリエル・カレッジ客員研究員。著書に『ギリシア哲学と主観性――初期ギリシア哲学研究』(法政大学出版、2005)、『初期ギリシア哲学講義・8 講(シリーズ・ギリシア哲学講義1)』(晃洋書房、2012)、『ギリシア哲学30講 人類の原初の思索から――「存在の故郷」を求めて』上下(明石書店、2018-19)、編訳書に『初期ギリシア自然哲学者断片集』①②③(訳、ちくま学芸文庫 2000-01)など。現在、「アリストテレス『形而上学』講読」講座を開講中(主催:タイムヒル)。
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