第10回 吉野の春
吉野の桜を見たいと妻が言う。遠出となると、途端に怖気づく。「見る前に跳べ」が方針の僕とは真逆の気質。よって、僕が提出した旅の案はたいてい退けられるか、よくても保留とされてしまうのが常。だから彼女自らが提案してくるのは非常に珍しい。心変わりしてしまう前に、二つ返事で「行こうよ」と言ってみたが、僕にだって奈良訪問への願望はあった。『天皇たちの寺社戦略』(武澤秀一著、筑摩選書)を読んだことで法隆寺を改めて凝視したかったし、当時の都、飛鳥も巡ってみたかった。結局、これらはまたの機会に持ち越しされたのだが、飛鳥のさらに奥地はいかばかりか。世間では有名らしい吉野の桜は本当に見事なのか。競馬の予想ほどは難しくないが、桜の開花は大きな気象、小さな気象が作用し合うものだけにピーク時をピタリとは当てにくい。早過ぎてもダメ、遅過ぎてもダメ。僕個人の都合、宿泊施設の都合などから、ダメもとで4月3週目に大和八木駅近くのシティホテルを予約した。 * * * 1泊2日。これが旅の大前提。2日間をいかに有意義に使うか。奈良は広い。電車、バス、タクシー、自転車、徒歩…複数の交通手段が使えるし、様々なルートが設定可能だ。もっとも、詰め込み過ぎても疲れがたまるだけ。妻は最近、心身の不調を訴えることが多くなっている。だから「気楽に行こう」が今回のテーマ。僕としてはいっそのこと吉野だけの旅でもいいと漠然に考えていた。当日になるまで話し合いはほとんどしてこなかったが、さすがに行きの特急列車内で旅程について尋ねたら「私は1度だけ行ったことがあるけど、長谷寺には絶対に行っておいたほうがいいと思う。わりかし近くにある室生寺にはまだ行ったことがないから行ってみたいし、談山神社もそれほど遠くはないから行けるかもしれない」と何やら知らない寺社の名前が次から次へと出てくる。さすがはプロ級の歴女だ。普段の生活、身なりは極めて質素だが、一途な欲望が、一徹の意欲がある。何はともあれ、京都以上に奈良音痴の僕としては、いろいろと提案してくれるのは嬉しい。初日に「談山神社→長谷寺→室生寺」、二日目に「吉野→飛鳥サイクリング」という日程を立てた。本来は初日に一番大事な吉野に行っておきたかったが、空模様が怪しく、サイクリングは2日目に回したほうが良いと判断。橿原神宮前駅で降車し、3つの寺社を一日で回るべく、本来は禁じ手のタクシーを使用することにした。 「京都からお越しですか。私は生まれてからずっと飛鳥に住んでいますけど、いいところですよ。ほら、コンビニも落ち着いた色合いでしょ。大きな建物はないし、空気も綺麗。目にも体にも優しい。賃貸物件もめちゃくちゃ安いしねえ。京都ほど暑くもないと思いますよ。ただ、昨晩はひどい雨でねえ。雹も降りましたわ。だから桜は大半が散ってしまいましたなあ。吉野? ああ、吉野なら大丈夫ですわな」 このときは当たりか外れかまだ分からなかったが、とにもかくにも話好きな、ある意味、信頼できる運転手であった。「右に見えるのが石舞台古墳ですよ。一番大きな石は77トンもしますわな。これから向かう山のほうから運んできたということです」。クレーンやトラックを使ったとしても難儀だろうに、これをすべて人力で何キロも先から運んで作るなんて信じられない。知恵の結晶か、壮大な愚行か、それとも必死の装置か。聖徳太子が生まれたという橘寺も遠くから眺めることができたし、久々のタクシー観光も悪くない。「談山神社はですねえ、天智天皇が中大兄皇子だったとき、権力を握っていた蘇我入鹿を倒すべく、藤原鎌足と談合した場所なんですわ。談山のたんは談合のだんですな」。道をくねくねと回りながら、ぐんぐん上がっていく、どんどん山が深くなっていく。「そこですわ」。ああ、こんな険所なら心ゆくまで密談ができるに違いない。 急な石段を登ると、右手に本殿がある。断崖に建てられた清水寺のような懸造り(かけづくり)。柱間が13。くしくも…いや、創建者の秘められた意志なのか、本殿の左手にあるのが十三重の塔だ。確かに、13もの屋根が重なっている。十三重石塔は宇治公園にもあるが、アジア各地に同様の塔が数多く存在しているという。もちろん、木造としては現存世界唯一。世にもまれな眺めである。 次は長谷寺だ。運転手さんの言うとおり、タクシーの中から見える桜の木々は清々しいほどさっぱりしている。あと1日早かったら、あるいは大雨が降らなければと未練たらしい気持ちにもなったが、我々には明日がある。今日は寺社巡りをひたすら堪能すればよい。 「なーんか、どこかで見たことがあるなあという感じがするんですよねえ。お兄さん、天気予報とかやってませんか。違うかなあ」 「ちょっと惜しいですね」 「惜しい?」 「競馬の予想なら齧ったことがありますが」 「ああ、そうだ。それや。良かったー。ずっと、胸のあたりがモヤモヤしとったんですよ。先週の大阪杯、えらい儲けてねえ。いいことは重なるなあ。そうそう、長谷寺でメーターを切って待っているから、このままタクシーで室生寺まで行って帰ってくるっていうこともできますねえ。室生のほうはバスがあまり通ってないからなあ」 それは妙案である。非常に合理的だ。しかし、長谷寺では時間を気にせず思う存分、過ごしたかったし、長谷寺駅までの参道や近鉄大阪線沿いに広がる宇陀の山並みも愉しみたかったのでタクシーはここまで。悦代としても、他の人がいると落ち着かないだろう。「それでは、今週末も頑張りましょう」と言い残して、初瀬山の、真っすぐ続く石段を登り始めた。 仁王門を潜ると、登廊(のぼりろう)をジグザグ歩いて懸造りの本堂へ向かう。一つ一つの石段の高さはあくまで均一で、丁字色とでも言うのだろうか、柱や屋根の色合いも美しい。ああ、立派な寺院だなと思う。それは特別公開中の本堂に入ってさらに深く納得した。10メートルを超える観音像…十一面観世音菩薩がそびえ立っている。普段はお隠れになっているお御足(おみあし)に直接触れてご縁を深めることができるという。足元から見上げて全身を眺めようとしても視界に入り切らないというか、これまで見たことも想像したこともない光景を目の当たりにして慄然する。尻もちをつきそうになる。オドオドしながらぐるっとひと回り。すると、内舞台のほうから読経が聞こえてくる。どうやら正午から始まるようだ。まさにグッドタイミング。「この道はねえ、他の運転手では通ってくれませんよ」とニヤリとしながらショートカットしてくれた彼でなければ好機を逸していたかもしれない。 堂の外へ出て、正面に回った。辺り一面に鳴り響く力強い太鼓と初々しい声色で合唱されるお経に耳を澄ますや、にわかに涙腺が緩み始めるのはいったい何故なのか。サールナートの法輪寺でも清浄な空気を揺るがす太鼓の音には心をゆすぶられたが、長い長い石段を登ってきたことへの御褒美に感激したのか、まるで声変わりをしていないかのような若僧侶らの濁りのない、ひたむきな声がまぶしかったのか、それともお経に内包する特殊音波がリラックス効果をもたらしたのか。元来、人前で泣くことに慣れていないし、ここで泣き始めたら連れは怪訝な顔をするであろう。それを見たら、きっと僕は腹を立ててしまうだろう。そんなわけで涙をグッとこらえて、しかし、思いかけず遭遇した声明(しょうみょう)に感謝して、本堂から張り出した大舞台でしばし立ちすくんでいた。 その後は五重塔、大黒堂、弘法大師御影堂などを回り、初めての〝初瀬詣で〟を満喫。長谷寺駅までの道のりは地図で見るよりも遠かったが、参道にはポツポツと土産屋や食事処がある。「焼きもちが美味しいですよ」と敏腕運転手が言っていたのを思い出し、愛想のいいおばちゃんが店先から声を掛けてきたので「二つ、お願いします」と頼むと、すでにあらかた出来上がっていた草餅を改めて鉄板で焼いて手渡してくれた。おやつの時間まで取っておくつもりだったが、これは紛れもなく今が食べ頃、今が旬。歩きながら頬張ると、カリッとした香ばしさに饅頭ならではのモチモチ感。空きっ腹にはたまらない。すぐ先の店で、飛鳥でまた一つの名物、柿の葉寿司を購入し(焼きサバ寿司も美味しそうだった)、最後はやけに急な階段を登って長谷寺駅へ。じきに静かな音を立てて鈍行列車がやってきた。その車内で、二人こっそり柿の葉寿司を食らう。都会ではなかなかこうもいかないが、旅の恥は柿の葉ならぬかき捨てである。 室生口大野駅に到着。ここからはバスに乗る予定だったが、時刻表を読み間違えていた。約1時間もやってこない。ところが、ひっそりとした駅前広場で場違いかのように1台のタクシーが佇んでいた。いったいどれくらい前から乗客を待っていたのだろうか。僕らがやってこなければいつまで待ち続けているのだろうか。何はともあれ、予約車でなかったのは幸い。再びタクシーを利用することは誤算だったが、大きなロスなく室生寺に行けそうだ。 「えー、室生は初めてですかね。そうであれば少しばかり説明させていただきます」 「藪から棒」とはまさにこのことだ。誰も頼んでいないのに観光案内ときた。別料金を取られるのではと身構えたが、飛鳥は門外漢に寛容な土地なのだろう。来訪者を寄せ付けない印象だった丹後とは違って。わずか15分ほどの乗車であったが、「女人高野」と言われるゆえん(女人禁制だった高野山と違い、参拝が女性に許された)、太陽信仰との強い関係性(桧原神社―室生寺―伊勢神宮の東西線には太陽祭祀にまつわる遺跡が点在している)など、マスク越しだったのでやや聞き取りにくかったのはご愛嬌だが、室生への興味がぐんと湧いてくる。さきほど声を掛ける前、タクシー内で書物を読んでいたが、きっと勉強していたのだろう。いい意味での誤算であった。 室生川の河原に点在する巨石を眺めながら標高を上げていく。初めての地とはいえ、室生寺が近づいてきたのは明瞭に分かる。長谷寺の参道のように、たくさんの店が連なっているのだ。交通の便はお世辞にも良好と言えない、山の奥のさらに奥にある室生寺だが、今でも多くの人を引き寄せているのは間違いなさそうだ。五重塔前の石段沿いに咲いているシャクナゲも魅力的だが、同じく平安初期に建てられた金堂が印象深い。ここの釈迦如来立像は衣装が珍しい。一方、本堂の如意輪観音菩薩は体を斜めに傾け、右手を頬にあてている姿が何とも優美。瞑想をしているのだろうか、穏やかな表情はそれこそ唯一無二のものではないか。ここはまさしく国宝、重要文化財の宝庫である。 予定していた3つの寺社巡りはこれにて完了――。が、まだ3時過ぎ。なかなかどうして非常にロスのない立ち回りだっただけに、もう一か所、立ち寄れそうだ。「安倍文殊院に行きたい」と連れが言う。橿原方面に戻る途中、桜井駅の近くだという。近くとはいっても徒歩で20分強。風が強く、薄手のジャケットは何とも頼りない。意外と難儀な道のりとなってしまったが、大化元年(645年)創建の日本最古に列する寺院は「渡海文殊群像」を始め、見どころがたくさん。とりわけ、文殊池に張り出している金閣浮御堂での「七まいり」はかつてない体験だった。ここは魔除け、方位災難除けを祈願する願掛けの修行場であり、御堂の回廊を「おさめ札」を納めながら7回まわって七難を取り除き福を得る。「何々がしたい何々が欲しいではなく、何々がないようにと心に念じながら参拝してください」と受付の女性。これは簡単そうで簡単ではない。「病気をしないように」「お金がなくならないように」「悪い人に出会わないように」。3回目までは難なく頭に浮かんだが、4回目以降からが大変。「何々がしたい」という想念は日常的、恒常的だが、「何々がないように」は意外と縁遠い。もっとも、ときには物事の裏側から眺めてみることも有意義だろう。僕の性格は楽観的だと改めて知った。余談だが、7回目は「転ばないように」という凡愚な願いとなってしまった。僕の周辺にはとんでもない災いが潜んでいるかもしれないのに。 夜は、ホテルの隣にある「焼鳥倶楽部Gnu(ヌー)」で舌鼓を打った。2750円のショートコースはお得だし、端正なレバ刺しといった感じの〝朝引き上肝刺し〟はそれこそ絶品。オレンジワインにも合う。ほろ酔い加減で部屋に戻ったが、言うまでもなく、階段で転ぶようなことはなかった。 * * * 翌朝はやや早起きして屋上にある大浴場へ。この地も我が住まいと同じく山に囲まれた盆地になっていることに気づく。京都市⇔奈良市⇔橿原市(飛鳥)の南北線はまさに地続き。かつて都に住まう人たちが目にする風景はおおよそ似たようなものだったのだ。 橿原神宮前駅から近鉄吉野線に乗って、11時過ぎに吉野駅へ到着。それこそ吉野巡りの談合は皆無に近かった。ここは彼女の好きなように巡ればよい。ところが、地図を見るだけでは距離感や交通手段がイマイチ掴めないようで、よくよく聞けば吉野駅以後のルートはまるで考えていないらしい。これには面食らったが、即断即決が我が信条(せっかちなだけかも)。「吉野といえば、奥千本では。ここまで来たからには行けるところまで行ってみようよ。ロープウェイではなくバスに乗れば終点まで行けるみたい。金峯神社や西行庵といった名所に立ち寄りながら桜を愉しめそうだよ」と提案したところ、「駅からはどのくらい距離があるんだろう。遅くならないうちに戻ってこれるかな」と不安げな表情を見せるが、どう考えても半日あれば大丈夫だ。飛鳥のサイクリングはまた別の機会でもいい。 途中で1度、バスを乗り換えて奥千本口へ。金峯神社へ続く坂道に人がわんさかいたのには驚いたが、辺りを見渡せば桜がちらほらと咲いている。やはり、ここまで来て良かった。ただし、途中からは足場が悪くなり、前日の雨がより一層、険しさを増していた。石段はぬかるんで滑りやすく、斜面沿いの道はちょっと油断したら滑り落ちそうになる。元来が慎重派な彼女は四苦八苦。僕はというと、この手の道は慣れているので急いでいるわけではないのに、ふと気が付けば何メールも先を歩いている。立ち止まってはまたゆっくりと歩き始め、立ち止まっては叱咤激励し、立ち止まっては彼女からカバンを取り上げ、二人ともひと汗かいて吉野の最奥地に辿り着いた。 ヒマラヤのバレーオブフラワーズとはまた一味違う、花の谷がそこにあった。日本古来のヤマザクラを中心に約200種三万本という桜が咲き誇っている。これぞ桜の谷。西行法師が住んでいたとされる西行庵に挨拶をし、行きよりはマシな道を通り、奥千本口へ下っていった。 再びバスに乗り、中千本へ。この辺りから下千本(吉野駅へのロープウェイの駅がある)までは賑やかな道。ここも柿の葉寿司や草餅の店を多く目にしたが、くずきりに心が惹かれた。予約一杯で入店できなかった「中井春風堂」の店員さんが親切にも教えてくれた「芳魂庵」(ほうこうあん)へ。「風情のある建物もいいですよ」と。吉野きっての古株といった木造建築は居心地が良かったし、高尾山の「十一丁目茶屋」のような眺望も抜群。そして何より「くずきり」の衝撃的な美味さったら。溢れる弾力には凄みすら感じたし、濃厚な黒蜜もたまらない。まさにソウルフルなスイーツ。疲れが吹っ飛んだので、ほど近い金峯山寺(きんぷせんじ)へ足を運んでみることにした。 一言でいえば、スケールの大きな寺。修験道の聖地として名を轟かせてきたが、いかにも「國軸山」との山号がそれを物語る。日本国の中心軸に位置するという意だ。蔵王堂と呼ばれる本堂は相当なボリュームだが、それも当然。堂内の奥に安置されてある日本最大の秘仏、本尊金剛蔵王大権現3体はそれぞれ約7メートルもの高さなのだから。不気味な光彩を放つ紺青色の肌は慈悲を表しているという。 蔵王堂の南側へ歩を進めると、脳天大神龍王院に続く階段が現れる。その数455段とか。ちょっとためらったが、ここまで来たからには行くしかない。頭が良くなるかもしれない。妻は階段上の仏舎利宝殿に残して、僕だけ駆け足で下ってみる。鳥居がたくさん。ここは神道と仏教と道教の交差点。吉野屈指のパワースポットとも。谷底に静かに鎮座していた「脳天さん」に参拝して、再び455段を駆け上がったのである。 さすがに息が切れた。長々と待たせたら機嫌が悪くなるかと思って無理をしたのだが、マラソンランナーとて慣れてない階段走は身に応える。澄まし顔で待っていたのでホッと胸をなで下ろしたところ、続いて出た言葉が「奥千本のあなたは怖かったわよ」。それが言いたかったのか。後ろの人たちがつっかえていたからとの釈明は胸の内にしまい、乱れた息を整えながらロープウェイの駅へ向かった。 そこで我々を待ち受けていた小さなゴンドラは年季の入り方が半端なかった。所々が錆びついており、いざ乗車してみたら振動もかなり激しい。「そろそろ大事故が起きるんじゃない」と冗談がてら小声で振ったら「はい。何年か前に衝突事故があったそうよ」と冷ややかに答える。さすがは勤勉家、予習に余念がない。こちらは苦笑するしかない。しかし、間髪入れず「今度、来るときは乗るのをやめましょうね」と提案してきたのをみると、なんだかんだ今回の旅も決して悪いものではなかったよう。吉野駅前の「さくら堂」で、くず餅ソフトを買ってあげたらそれこそ笑顔がはじけた。待ちに待った春がやってきた。 虎石 晃 1974年1月8日生まれ。東京都立大学卒業後は塾講師、雑誌編集を経てデイリースポーツ、東京スポーツで競馬記者を勤める。テレビ東京系列「ウイニング競馬」で15年、解説を担当。著書2冊を刊行。2024年春、四半世紀、取材に通った美浦トレーニングセンターに別れを告げ、思索巡りの拠点を京都に。趣味は読書とランニング。



この記事へのコメントはありません。