月刊傍流堂

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第2回 ガンガリアの夜

 ウッタラカンドの夜は唐突にやってくる。とりわけ、ガンガリアは峻厳な山に囲まれているせいか、夏場でも午後6時にはすでに辺りは薄暗く、外をうろうろと歩き回るような雰囲気にはない、いつまでも明かりを煌々と照らしているような店はない。それにしても、古宮くんになかば強制連行された感のあるこの部屋の陰気臭さはどうだ。天井に蛍光灯が付いていないどころか、ベッド脇にある小さなランプが唯一の光源。オレンジ色のほのかな明かり。日本から唯一、持参してきた文庫本にも目を凝らさなければ読むことはできない。それも1時間もすれば限界に達し、疲れた目を休むべく瞼を閉じながら、隣のベッドに横たわる古宮くんの旅物語に耳を傾けていた。

「高校を卒業して間もなく旅を始めたので約10年、数え切れないほどの国を回ってきました。思い出の地ですか? いろいろなところで大変な目に遭ってきましたけど、一番、死に近いと感じたのはオーストラリアを野宿しながら縦断していたときですね。南から北へ。あの砂漠での数日間は熟睡とは無縁の日々でした。夜はテントで寝るんですけど、一晩で何回かはコソコソッとした小さな音で目が覚めるんです。目を覚まさざるを得ないというか。タランチュラが地面を這って近寄ってくる音なんです。もちろん、一番最初のときは心臓が止まりかけましたよ。必死になってジャンパーをバタバタさせて外へ追い出すんですけど、また戻ってくる。どうせなら一撃を与えてお陀仏させてやりたいところなんですけどねえ…それも怖くてできない。でも、毎晩毎晩これを繰り返していると、じきに慣れてくるのが不思議ですよね。最初はあんなに怖がっていたのに」

「僕なんてヨーロッパの都市しか行ったことがないですけど、古宮くんみたいなバックパッカーって、まだ日本でも少ないのでは。どうせなら旅のことを1冊の本にまとめてみたら売れるかもしれませんよ」

「いや、僕は旅はあくまで個人的な営みだと思っているんです。敢えて人様にお披露目することではないと。それに、時すでに遅しでしょう。沢木耕太郎の『深夜特急』…。僕だけではなく、今、世界中を旅している猛者からしてみれば何とも平凡な旅ですけど、先駆者の強みというか、何事も始まりが大変。一番最初に書いた時点で、内容はともかく、彼は勝者となりました。二番煎じはいかにも格好悪い」

 確かに古宮くんの言い分には頷けるものがあった。多少ならともかく、過度な自己顕示欲ほど気持ち悪いものはない。日本の現代社会からしてみれば、いわばプー太郎の古宮くんはろくでなしの烙印を押されてしまうだろうし(学生の僕はギリギリ可?)、いかにも勉学より実働といった雰囲気の人だが、意外に客観的な思考の持ち主だし、沢木を知っているように読書とも無縁ではなさそうだ。実は、いずれ、本を書きたいと思っているのかもしれない。

「虎石くん、もう本は読まないんですか? ここ数ヶ月、日本語の文章はまったくと言っていいほど目にしていないんですよ。ちょっと貸してくれませんか」

 やはり、本というものに少なからずの興味はあるのだろう。一旦はベッドの脇に置いた本を再び手にして、彼に渡した。

「石原吉郎…。誰ですか。初めて知りましたよ」

「太平洋戦争後、シベリアで強制労働をさせられて、辛くも日本へ戻ってこれた人です」

「なんで、この本を持ってきたんですか」

「いや、この前、新たに文庫化されたので何の気なしに買ってみただけなんですが…。インドとシベリア。極端なほど気候は違うし、かたやユーラシアの北の北、かたや南の南。めちゃくちゃ対照的なので逆に読み応えがあるかと」

「そうですか(笑)。これは、詩、なんですね。寝るまでまだ時間がたくさんあるので、ちょっと読んでみましょうか」

 陸から海へぬける風を
 陸軟風とよぶとき
 それは約束であって
 もはや言葉ではない
 だが 樹をながれ
 砂をわたるもののけはいが
 汀に到って
 憎悪の記憶をこえるなら
 もはや風とよんでも
 それはいいだろう

「なんだか、寒気がしてきますね。こんな静かなところで読むものではないかも。標高が高過ぎるせいですかね、虫の音さえ聞こえてきませんよ。彼はのっぴきならない経験をしたようですけど、その気配はなんとなく僕にも伝わってきますけど、それがなにかは、その詳細は、まったく想像できません」

「はい。まったく分からないです。きっと、石原自身もその詳細は書けないんじゃないですかね。書いたらそれこそ死んじゃうのでは」

「きっと、死ぬほど辛い体験をしたんでしょうねえ。虎石くんの言う通り、言葉にしたら、本当に死んでしまうのかもしれませんね。でも、書かずにはいられない。詩人は因果な商売ですね。続き、読んでくださいよ」

 盗賊のみが処理する空間を
 一団となってかけぬける
 しろくかがやく
 あしうらのようなものを
 望郷とよんでも
 それはいいだろう
 しろくかがやく
 怒りのようなものを
 望郷とよんでも
 それはいいだろう
      (出典:石原吉郎『望郷と海』ちくま文庫)

 本の表題作「望郷と海」の冒頭に掲げられた詩〈陸軟風〉を前後半に分けて、交互に朗読を繰り返した。どちらが提案したわけではないのに、「それはいいだろう」の箇所だけは一緒に口にして。

 生き物の蠢く音がまったく聞こえない夜。傍らに寝そべっているこの男は本当に古宮という名前なのだろうか。この男こそ盗賊ではないだろうか。いや、彼も僕と同じような疑心暗鬼の心持ちでいるのかもしれない。旅に慣れているとはいっても、さすがに赤の他人と同じ部屋で一夜を過ごすには多少の緊張が伴うはずだ。お互い、ガンガリアの不気味な夜を回避するべく、こんな奇妙な遊びを興じてしまったのだが、石原の声を聴いているうちに、さらに恐ろしさが押し寄せてくるのだから、本末転倒というか、火に油を注いでしまった格好だ。

 日中の登山もそれ相応にきつかったし、この応酬にいささか飽きて目をつむったその時、さきほどふっと脳裏をよぎって、それが形にならず忘却の彼方に去りかけた言葉が、詩が、再び僕のもとに戻ってきた。19世紀アメリカの女性詩人、エミリー・ディキンソンだ。

 ことばは死んだ
 口にされた時、
 という人がいる。
 わたしはいう
 ことばは生き始める
 まさにその日に。
      (出典:『対訳 ディキンソン詩集ーアメリカ詩人選(3)』亀井俊介編、岩波文庫)

 言葉はそれが発せられた瞬間に無意味と化すがしかし、言葉は沈黙から生まれる。それがディキンソンの密やかな主張に他ならない。宮沢賢治と同じく、一生涯、孤独のうちに書き留めるにとどめた数十編の詩。決して安穏とした生ではなかったかもしれないが、彼女には喪失を越えた希望がある。ただし、石原の詩には希望の光はうかがえない。それでも、言葉への信頼がなければ書けないのでは…。いつか彼にも希望の光が見えてくるのか…。

 高度4,000m近くの、一泊75ルピーの粗末な部屋にカーテンという贅沢品はない。朝日が山々の谷間から上がってくると、一気に明るさが増してくる。いつの間にか、眠りに落ちていたようだが、目覚めは決して悪くない。これなら、あとひと踏ん張りできそうだ。宿近くで朝ご飯がてら食べたカレーがやたらと辛かったこと、Valley of Flowersまでの道のりで分厚い雲に覆われ続けていたことは不吉めいていたが、足早に花の谷に着くや、にわかに青空が広がり始めた。花の最盛期はやや過ぎていても爽快そのもの。これほどまで広大な谷間は見たことがない。どこまでもどこまでも花畑が続いていく。これぞ世界の秘境だろう。

 しばし、地面に寝そべって我が身の幸運に酔いしれた後、再び、来た道を下り始めた。このときはまだ、初歩的、あまりにも初歩的な過ちを犯していたことに、つゆほども気付いていなかった。


虎石 晃

1974年1月8日生まれ。東京都立大学卒業後は塾講師、雑誌編集を経てデイリースポーツ、東京スポーツで競馬記者を勤める。テレビ東京系列「ウイニング競馬」で15年、解説を担当。著書2冊を刊行。2024年春、四半世紀、取材に通った美浦トレーニングセンターに別れを告げ、思索巡りの拠点を京都に。趣味は読書とランニング。

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