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第1回 エレア

 イタリア南部の景勝地アマルフィを少し下ったサレルノあたりでわたしたちは再び鉄道線に出会う。地中海沿いに南下し、半島の長靴の先端部にあるレッジョ・ディ・カラブリアにまで通じる幹線である。その途中、カンパニア州・サレルノ県にアシェーア(Ascea)という名のさほど大きくない駅がある。その駅から2~3キロほど北のところに古代ギリシアの都市エレアの遺跡はある。イタリア名では「ヴェーリアの考古学遺跡」と呼ばれ、ユネスコの世界遺産にも登録されている遺跡である。徒歩で2~30分ほど、後代に遺跡内に造られた塔が駅から遠望されるため迷うことはない。

 遺跡の高台から周辺を見廻してみると、そのあたりの地形はほぼストラボンが報告しているそれであることが確認される。「岬を回ると連続して別の湾があり、そこにポリスがある。植民したポカイア人はそれをヒュエレと呼んだが、別の人たちはある泉からエレと呼び、今日の人たちはエレアと呼んでいる。ピュタゴラス派の哲学者であるパルメニデスとゼノンがこのポリスの出身である。この人たちによっても、またそれ以前からも、このポリスは立派に統治されてきたようにわたしには思われる」(『地理書』Ⅵ 1)。

 ストラボンの報告している通り二つの岬が確認されるがその間の湾は今日では陸地となっている。海が数キロ後退しているのである。このことはわたしが訪ねたいずれの遺跡でも確認されることで、遺跡の港跡とされるところは今日ではたいてい陸地内にある。海岸線はそこから数キロないし10キロほど彼方にあるというのが一般的である。なぜそのようなことになっているのか、このことは初期ギリシア哲学の遺跡を訪ねる旅の全行程で繰り返しわたしに突き付けられた疑問であるが、この宇宙考古学上の問題について明快な回答を有する人があれば、是非にもご教授をたまわりたい。

 エレアの遺跡であるが、陸地の低いところから(おそらくそこが昔は海岸線だったのであろう)登坂になっていて、その途中にポルタ・ロサ(薔薇門)と呼ばれる門があり、それを登り切ったところに周囲五キロ平方ともいわれるかなり広い遺跡群がある。今日も発掘作業がつづけられていて、哲学者パルメニデスはそこで医者としても活動していたとのことを記したパンフレットが発掘事務所で売られていた。

 パルメニデスは人類最高の哲学者といって過言でない。彼の命題「ある、そしてないはない」は哲学の最高点を示す命題であり、人類の知性の限界点を記すものだからである。「ないはない」のである。もし「ない」があるなら、「ない」は一種の「ある」であることになる。これはそれ自身に矛盾する不合理である。哲学では安易に非存在や無が語られるが、それらは矛盾している。もし非存在や無が語って意味ある何ものかであるなら、非存在は一種の存在であることになり、無も一種の有であることになろう。したがって非存在(無)は存在しないのである。

 この非存在の端的な不可能性からパルメニデスはただちに生成、消滅の不可能性を帰結する。生成とは非存在から存在への移行であり、消滅とは存在から非存在への移行であるが、非存在は存在しないからである。また多も不可能である。物が二つに分割されるためにはその間に空虚が介在しなければならないが、空虚は非存在そのものであるがゆえに存在しない。場所も、それが空虚であるなら、存在しない。したがって運動も不可能である。運動は場所(空虚)を必要とするからである。同様の理由によって変化も不可能となる。このようにしてパルメニデスは現象においてみられる生成、消滅、場所、運動、変化、多のすべてを仮象にすぎないもの、「死すべき者のドクサ」として廃棄した。言い換えれば、現象世界の一切を廃棄した。それらを許容せずしては成り立たない現象世界はパルメニデスには文字通り夢幻のごときものに思われたに違いない。かくしてパルメニデスによれば、存在するのはただ彼が「存在(ト・エオン)」と呼んだ一者のみであり、存在が一であると共に全体であり、連続なるものとして永遠不変に静止して存在するのである。これが女神がパルメニデスに託宣した「真理(アレテイア)」であった。

 しかしパルメニデスの哲学はここで終わらなかった。「死すべき者どものドクサ」と断りながらも彼はさらに光と闇ないしは火と土の二元論に基づく宇宙生成論を展開している。首尾一貫性、学的整合性を犠牲にして彼は宇宙生成論を説いているのである。

 それでは何が一体「真理(アレテイア)」に加えて「ドクサ」を説くことをパルメニデスに踏み出させたのであろうか。両立しない二教説をパルメニデスという一個体内において存在させているものは何か。

 それは顕在的意識と潜在的無意識という意識の二層性であるとわたしは思う。顕在的意識の下に集合的な潜在的無意識の層があるというユングの説いた意識の二層構造こそこの疑問に答える鍵であるとわたしは考える。パルメニデスの意識の深層になお伏在したイオニアの自然哲学の伝統がこの不可能を敢えてパルメニデスに行わせたゆえんのものであって、矛盾を犯してでも火と土に基づく宇宙生成論を語らずにおれなかったという点にイオニアの自然哲学の伝統のパルメニデスにおける根深さをわれわれは見るといわねばならないのではないか。

 エレアは放浪ポカイア人によって南部イタリアに前540年に建設されたポリスである(ヘロドトス『歴史』Ⅰ167参照)。そこでは亡国の地イオニアの伝統がなお生きていた、というより、望郷の念からなお一層強く意識されていたに違いない。その伝統はパルメニデスのいわば秘めた信念でもあって、ドクサ部分はイオニアの伝統へのパルメニデスの忠誠の証ともいうべきものだったのである。言い換えれば、ドクサ部分はパルメニデスという現存在における歴史性の証明なのである。彼の「真理(アレテイア)」のテーゼは彼の哲学上の閃きではあったが、パルメニデスという一個の現存在を根底から覆すようなものとはなりえなかったのであろう。存在を根底において規定しつづけるもの、それは天才的な洞察であるよりはむしろ潜在的な存在の層、いわば沈黙の歴史的基層なのである。潜在的構造はむしろパルメニデスの「真理(アレテイア)」をこそ否定していたのである。潜在的基層、歴史的沈殿層がいかにしぶといものであるか、あらためてわたしたちは「歴史的パルメニデス」においてそのことを確認するといわねばならないのではないか。わたしたちがパルメニデス問題においてはからずも確認するもの、それは現存在の歴史性なのである。パルメニデス哲学が総体としてわたしたちに提示しているもの、それこそ「現存在の実存と歴史性」(ハイデガー)の問題なのである。故郷喪失性がいかに深く現存在を規定するか、エレアの遺跡に立つとき、われわれはそのことを実感させられる。


クサカベクレス

1946 年京都府生まれ。別名、日下部吉信。立命館大学名誉教授。1969 年立命館大学文学部哲学科卒。75 年同大学院文学研究科博士課程満期退学。87-88 年、96-97 年ケルン大学トマス研究所客員研究員。2006-07 年オックスフォード大学オリエル・カレッジ客員研究員。著書に『ギリシア哲学と主観性――初期ギリシア哲学研究』(法政大学出版、2005)、『初期ギリシア哲学講義・8 講(シリーズ・ギリシア哲学講義1)』(晃洋書房、2012)、『ギリシア哲学30講 人類の原初の思索から――「存在の故郷」を求めて』上下(明石書店、2018-19)、編訳書に『初期ギリシア自然哲学者断片集』①②③(訳、ちくま学芸文庫 2000-01)など。現在、「アリストテレス『形而上学』講読」講座を開講中(主催:タイムヒル)。

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