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第18回 かりんの実が落ちるまで~京都、秋の寺日誌~

 東京から京都へ越してきて約1年半。京都、あるいはその周辺を旅してきた。泊りがけの旅、日帰りの旅、午前中だけの旅…伊勢や出雲のような遠出となることも少なくなかったが、京都と奈良の寺社巡りがその大半。三条通りの自宅周辺にコーヒー屋がたくさんあるのも有難かった。読書する場に事欠かない。が、近くのものが霞んで見えるときが増え、文字を追うスピードもかなり遅くなった。根無し草に別れを告げ、ひとまず読書も一休みとし、今度は一つの場、出来ることなら一つの寺で腰を据えたいと思った。とはいっても、宗教には興味はあっても僧侶になる理由はない。しかしてタイムリーなことに秋限定の求人があった。観光客の誘導及び境内案内、しかも紅葉で有名な京都の名刹。趣味と実益を兼ねるとはこのことか。果たして、今日からの一ヶ月はいかなる日々となるのか。いかなる収穫にあり付けられるのか。

 幾つになっても「初めて」には緊張感が伴う。うまくいくか。うまく、といっても無数の局面がある。時間を守れるか、電車が止まらないか、服装は寒くないか、同僚たちと仲良くやっていけるか、来訪者を手際よく誘導できるか、分かりやすく説明できるか、お弁当は美味しいか…不安要素はキリがない。だから昨晩は何度も夜中に起きた。齢50をとうに過ぎてこの体たらく。しかしそれも一つの現実であり、おそらく一生、図太い人間にはなれないだろう。

11月12日

 8時10分に到着。今日から2日間だけの勤務場所である山門はまだひっそりとしていた。今のうちにと、本堂の西側にある便所へ用足しに行き、ゆっくりと戻ってくると、作務衣を着た人たちが荷物預り所のテントを広げていた。僕も作務衣に着替え、彼らに挨拶をし、2階へ上がる。宝冠釈迦如来坐像に挨拶。制作年、制作者は不明のようだが、あまり類型がないことは容易に分かる。山門は紛れもなく国宝だが、この内陣も国宝級だろう。ここで日が暮れるまで滞在できるのは僥倖のなにものでもない。

 しかし、誰かまわず話を振ってくる先輩のじいさんには辟易。山門で競馬の話はしたくないのだが。今年から来訪者へ向けての講釈役を受け持ったという。その意欲は素晴らしい。72歳にもなって新たなことを始めるには勇気がいるだろう。しかし、彼の場合は勇気というより、たんに神経が図太いだけという感はあるが。

 一方、ニヒリズムを体現したかのような色白のスラリとした青年もなかなかの奇怪ぶり。キリスト教系大学の4回生だが、目下の本業はバーテンダーだという。それでも彼の最大の興味対象は他ならぬ仏教であり、在学中は数え切れないほどの寺社仏閣を訪れたとか。早熟というか、感性が鋭いというか。外国人相手に、早口の英語で巧みに誘導している。

 僕はというと、日本人にはソツなく対応できていたと思うが、外国人への意思疎通は甚だ怪しかった。「足元や頭上に気を付けて」「ここで靴を抜いで」「階段は急なのでゆっくりと上がって」「ここでは写真を撮らないで」…ささやかな声掛けもしどろもどろ。僕は小学生の頃から吃音があり、喋り下手との自己認識。それゆえ言葉を他人に振るのが苦手なのだ。大学時代のヨーロッパ旅行では同行者から呆れられた記憶がある。夕方には肩が異様に張ってくる。緊張し続けていた証拠だろう。

11月13日

 ふくらはぎやももの筋肉痛は一晩寝てほとんど解消されたがしかし、たんに突っ立っているだけでこうも疲れるものなのか。今日はできる限り動いているか、座っていようと思う。

 昨日とは違うメンバー。夫の転勤でタイにしばらく住んでいたというおばちゃんも、西院からバイク通いのバレーボール好きのおばちゃんも滑舌が良く、外国人相手でもまったく怯まない。完全に僕の負けである。しかし、あまり気にしても仕方がない。できるだけ気楽にやるよう努める。

 ニヒルな青年が今日は講釈役を受け持つという。そんな若さで…。10分程度とはいえ、山門にまつわる話をするにはかなりの量の知識が頭に入っていなければならない。それと同時に喋りの巧さも必要だ。もう一人の講釈おばちゃんはそれこそプロ級の腕前…話術の持ち主であった。昔、ナレーションの仕事でもしていたのだろうか。僕と同じ時給なのは割が合わないのではないか。統括責任者でもない僕がそんなことを気にしても仕方がないか。

 今日は靴下を二枚履いてきたのに足元が冷えて仕方がない。板張りの廊下は氷の板のよう。しかし山門は今日までと我慢して、なるべく日が差し込んでいる場所にとどまるようにした。

 今日、初めて出会ったじいさん――鈴木清順氏を彷彿させる長めの白髪が特徴的――は山崎の少し先から来ているよう。「遊びのようなもんだから」と支給される交通費以上の出費にも意に介さない。彼に「通天モミジ」(=トウカエデ)を教えてもらう。葉の先が五つに分かれているイロハモミジとは違い、こちらは三つ。色合いも違う。赤まで色が染まらないうちに落葉する。「伏見の方にも多いが、この辺はとくに多い」と清順氏。ああ、こんな奇妙なモミジもあるのか。ときに迷惑なじいさんもいるが、年配者は往々にして知識豊富である。勉強になる。

 ニヒルな青年は夕方から高台寺での仕事が入っているという。このところ多くの寺が取り入れている夜の特別拝観、ライトアップである。掛け持ちできるなんて体力のある証拠。普段、ランニングをしているとはいっても、二十歳そこそこの人には敵わないのか。それともランニングとは異なる体力が必要なのか。この仕事を続けていけば楽になっていくのか。それはまだ分からない。

11月15日

 今日から通天橋勤務。70歳くらいの、とっぽい二人のじいさんがテキパキとテーブルをセッティングしている。やけに言葉の節々に凄みがあると思いきや、やはりと言うべきか、元警官だという。しかし、片割れが大の競馬ファンだったせいか、遥かに年下で、かつ新米の僕に対して非常に丁寧に接してくる。逆に恐縮してしまうが、彼らの温情采配は有難く受け取っておこう。山門での古株から「通天橋には面白い人がいるぞ」と意味深なことを言われていたのだが、なるほどと合点がいった次第である。

 この寺は「伽藍面」と称されているように質、量を伴った山門、本堂、禅堂などの建築物が特色なのだが、通天橋のモミジ林があることで、京都で唯一無二の存在感を放つことに成功している。この光景を見れば誰でも心が和むことだろう。その色彩はともあれ、まず木々そのものが麗しい。市民の憩いの場、という観点に立てば非常に優れた場所と言えよう。仏教の底力、あるいは我が国の生命線すら感じてやまない。

 これまでよりはリラックスして取り組めたが、夕方を迎えるころにはやはり肩こりが酷くなった。これはいつまで続くのだろうか。気の小ささがそうさせるのか。これも一つの試練なのか。それとも、僕は一人仕事が向いているのか。

 帰り道。僕と同じく新規参入組のヤマダさんが「虎石さんがいて良かったですよ」と安どの息をもらす。3か月前に憧れの京都住まいを始めたようだが、東京人という出自は僕と同じであり、ワイン好きなのも同じ。年齢は僕よりも少し上のようだが、いずれにせよ、このような同好の士がいれば奇怪な人がいても我慢できる、平常心を保てる。

▲早朝の、塔頭の僧侶たちが開山堂へ向かう、通天橋

11月16日

 新たなる奇怪が現れた。開始時間前から、手当たり次第に来訪者に声掛けをしている。「受付には3列で並んでください」「現金のみの取り扱いです」「もうしばらくお待ちください」。止まるときは死ぬとき…言ってみれば‟マグロ“おばちゃん。「団体さんが来たら走って応対しましょう」と指導されたが、境内で走っていいものなのか。もう一つの疑問が、通天橋出口に駐車禁止のコーンを立てようとしたこと。しかしここで、彼女に否を唱えたのが最年長のタキモトさん。柔和な表情がトレードマークだが、実はなかなかのツワモノ。「景観を損ねる」と指摘して彼女の試みをキッパリと却下した。通天モミジを教えてくれた鈴木清順氏も心和むキャラだが、この好々爺のような緩衝材的、倫理的人間もチームにとって必要不可欠。七人の侍が良い例である。

 そういえば肩こりを気にしなくなった。「自分のリズムでやればいいんだ」とは清順氏。そうなのである。時給1100円ちょっと。職場の雰囲気を著しく損なわない程度に、個々が楽しみを持って取り組めばいいのだ。一心不乱に働きたかったら高収入の職場に行けばよい。彼は鹿島アントラーズの前身、住友金属のサッカー選手だったというが、どうりで声には張りがあるし、存在感も並々ならないものがある。フィールドの貴公子といった趣はまったくないが。

11月18日

 仕事開始前、通天橋からの眺めを写真に収めることはもはや日課に。昨日とは違うし、もちろん一昨日とも違う。この変化を、京都最良の紅葉名所で確認できるのはまことに得難い。「そうだ 京都、行こう」のポスターにあるような燃え盛る紅葉である必要はまったくない。緑、黄、橙、赤のグラデーションこそが自然の豊饒さ、そしてはかなさを教えてくれる。

 それにしてもピーク前の紅葉が一番の美しさではないだろうか。ニヒルな青年も無理やりにでも連れてくれば良かった。とにかく省エネ商法の彼。寒さから逃れるため開始時間まで控室でジッとしていたようだが、あとになって「行けば良かった」と後悔していた。

 朝のテレビ番組で気温の低下に警鐘を鳴らしていた通り、9時を過ぎると風が出てきて一層、寒さが厳しくなってきた。タイツを履いてくれば良かったと、こちらも後悔。後悔だけが人生だ。ニヒルな青年は手袋をちゃんと持ってきていた。さすがは若きベテラン。午前中は人出が少ない。これも寒さのゆえんか。

 「今日の弁当、魚で良かったですよ。最近はフライとか牛肉とか、油っぽいものが多かったから」とはニヒルな青年。僕も同意見だ。僕は彼のような草食系男子ではないが、最近は胃がもたれる食べ物はことさら苦手に。今日は妻が作ってくれたほうじ茶があって助かる。寒い日はボトル必須である。

 午後は途端に団体客が増えた。ニヒルな青年が担当していたときには一度に3組も来訪。総勢で100人近い。これらをまとめなければならないゆえ、彼にしては珍しくせわしく動いていた。僕が担当している時はそこまで大変な事態に陥らなかったが、とにもかくにも人の絶えない寺である。午後はさらに気温が低下し、久々に体が冷え切った。これでは心身ともに疲れる。今日、お休みだったヤマダさんはラッキーである。

11月19日

 昨日の教訓からタイツを履いてきたが、ズボンがジーパンではやはり京都の冬は越せない。「そんなのでは寒いだろ」とは元警官の池部良氏。かつての映画スターのようにハンサムかつ寡黙。しかし威圧感がある。「俺はこの仕事、暇つぶしみたいなものだから」が常套句。まあ、年配者の多くはそんなものだろう。あるいは日々の張り合い。それはさておき、最年長の好々爺も元警官ということが判明した。警官も色々である。

 今日のリーダーは求人会社の代表さん。生粋の歴女らしく、京都や寺のことはなんでも知っているし、声掛けも的確。彼女の登場で緊張感はやや増したが、それでも紅葉を楽しむだけのゆとりはある。

 しかし昼過ぎからやや強めの雨に見舞われた。一時、橋の下に非難。じきに晴れ間が出てきたとはいえ、好々爺が傘を貸してくれたおかげであまり濡れなくて良かった。優しき人物に好かれるのは大事である。

 入口で来訪者のチケットにスタンプ押しをしている最中、突如、妻と娘が現れた。妻はやけにはしゃいでいる。写真をパシパシ取っている。まるでパー子みたいに。「拝観料を払わらなくて良かったのに」と鈴木清順氏。でもまあ、僕がここに配置されているときに来るとは限らないし。寒さは厳しかったが、日中はほのぼのとした空気に包まれていた。

▲入り口で妻から「ハイポーズ」

 夕方4時前、「もうじき受付終了時間となります。今から入られてもゆっくり見ることができないかもしれません。お寺の門も4時半に閉まります。お早めに…」と、代表さんの掛け声が境内に鳴り響く。来訪者の機嫌を損なわず、しかし警備員が難儀しないよう手際良く、来訪者を門から追い出すことに成功している。これは上手い、これは敵わない。少し打ちひしがれたが、彼女の類まれな声掛けを間近に聞けて良かった。

 今日は遅番。池部良氏に暇つぶしがてら開山堂に連れていってもらったのは収穫だったが、帰りがけに作務衣を破ってしまう。通天橋出口の門に引っ掛けてしまったのだ。一応、会社にはメールを打っておく。

▲開山堂

11月23日

 早朝から長蛇の列をなしている。3連休の中日。今期最大の賑わいになりそうな雰囲気である。それでもひとまず参拝をするべく本堂へ足を向けると、ヤマダさんが困った顔で「スマホを貸してください」と言い寄ってきた。なんでも、今日に限って夫の自家用車で寺まで送ってもらったところ、車内にスマホを忘れてきたという。さらにタイミングの悪いことに、今日に限って東京から友人が会いに来るという。普段なら業務中にスマホを使うタイミングはないので手元になくても困らないのに…。大忙しのさなかでも夫からのメールに手際よく返し、昼前にはスマホを受け取ることに成功した模様。それは良かった。

 息つく暇もないとはまさにこのこと。開場前にローテーションは決めたものの、もはや持ち場から一瞬たりとも離れることができない状況となり、しばらくは入口付近で声掛けの役。段差に気を付けること、トイレはこの先にはないこと、パンフレットを利用すること、入り口付近には立ち止まらないこと云々。

 昼前、団体さんの誘導のため日下門前へ移動したところ、ずっと先まで長蛇の列ができていてびっくり。どんどん長くなる。100mほど先の最後尾から1時間以上、離れることができなくなった。「通天橋へ行かれる方はこの列に並んでください」を連呼。通常の昼休憩を遥かに過ぎた13時半、偶然なのか必然なのか、警備員さんが来てくれたので彼にバトンを渡して控室へ。遅めの昼メシにあり付けた。

 午後もイモ洗い状態が続き、通天橋だけで2万もの来訪者があったとか。お金とチケットの受け渡しに明け暮れた受付嬢らも相当な激務だったろう。しかして帰り道、鈴木清順氏はいつもと変わらない涼し気な表情で、幾つかの塔頭や第三のモミジ=シダレモミジの話、さらには「境内のどこにも寺の名前を記したものがない」とのミステリアスな話も伝授してくれた。そういえば「○○寺」との表記ないし石標は目にしたことがない。本堂にも山門にも通天橋にも…どこにもない。はて、僕が毎日のように通うようになったところは何寺なのか。

11月24日

 戦々恐々と名無しの寺へ向かった。昨日の忙しさが思い出される。今日も同じ目に遭ったらどうしよう。ところが、東福寺駅前は実に閑散としたもので、塔頭が並ぶ界隈になると多少は人の姿を見かけるようになったが、昨日とは雲泥の差だ。

 もっとも、通天橋から見下ろす紅葉は一段と濃厚さを増してきたし、逆に地表辺りから望むモミジ林も昨日までとは違う光景に。じきに、地面が落ち葉で覆われるようになったことに気付いた。地面の「茶」が「黄、橙、赤」の混合色に入れ替わっているのだ。なるほど、視界の下半分とはいえ、明るさを増して当たり前。木々の間から太陽の光が差し込み、辺り一面、神々しい雰囲気に包まれている。

 朝イチは入口のスタンプ係。こちらもマックスのスピードで押しているせいだろう。昨日とはうってかわって行列ができない。これなら来訪者も穏やかな気持ちでモミジを堪能できることだろう。ほっと一安心。高校生4人にイロハモミジと通天モミジの違いを教えてあげる。近くを通り過ぎる人の邪魔にならないよう気を配りながら、こちらの説明にしかと耳を傾ける。好奇心はあるし礼儀も良い。頼もしき若人と接して、さらに心が温まる。

 午前、午後ともに僅かながらも休憩が取れたし、昼メシ時間に代表さんから貴重な話も聞けた。以前から僧侶の姿が見えないと思っていたが、やはりこの寺には何人かの僧侶しか在籍していないようだ。塔頭の僧侶らによって支えられているといって過言ではない。しかしそれでも経営責任者はいるはずで、その敏腕ぶりは気になるところ。一度、インタビューしてみたいものである。

11月25日

 朝から雨。今日はきっと、人の入りは少ないだろう。まったりとした一日も悪くない。昨日は紅葉の真実に気づくほど穏やかな時間であった。あくせくとした時間を過ごすためにこの仕事を選択したのではない。好々爺と仕事前、通天橋見学へ。これが意外にも紅葉が鮮やか。雨に濡れたモミジはより一層、濃厚さを増す。いつになく迫力ある風景が広がっていた。ピーク寸前。されど今日の雨で落葉は増すだろう。ピークには至らず、明日は終わりの始まりとなるかもしれない。

 午前中はもう一つの真実に気付いた。雨の日はインクの乗りが甘い。かすれたようなハンコになってしまう。それはたいした問題ではないが、来訪者が入口のテントに入る際、今日のリーダーは「一旦、傘を閉じてください」と逐一、言い放つのだが、これは言う側も面倒だが、言われた側も面倒。両者の面倒を越える正義があるのか。飲食禁止や団体客の取り扱い方など、誰もが納得できるルールもある一方、傘を閉じろといったような必ずしも正統性があるとは思えないルールも混じっていると思われる。

 出口の監視役が最も落ち着く時間。じっくりとモミジ林を眺める。落ち葉が昨日よりさらに増え、曇天模様なのに非常に明るい。紅葉とは、死と生のアンサンブルだ。まだ光合成を行い、この先、土に返るなんてつゆほどにも思っていない生なる葉と、地面に落ち、分解を始めたまさに死に瀕した葉の共同作業。地面に朱色の絨毯が敷かれるため、視界の上方も下方も真っ赤に染まる。

 あるいは、紅葉の美しさは死の汀だからかもしれない。死への一歩手前の謳歌。最期の瞬間における生の激発。尋常あらざる燃える緋色。かつて祖母の臨終に立ち会った際、心音が停止する直前に何か言葉を発した。残念ながらはっきりと聞き取ることができなかったが、あれもきっと、死の汀の激発に違いない。

 要するに、紅葉は生と死そのものであり、顕と冥の狭間に生きるのが僧侶であり、それが仏教の真骨頂である。ならば、境内で紅葉を眺めることはいたって正しい。〝錦の雲海〟は棚から牡丹餅の収入源ではなく、まさに正統的な寺の表現方法でもあろう。

11月30日

 寺への道すがら。紅葉はピークは過ぎたとはいっても、依然として僕の心を和ましてくれる。朝の陽光に照らされたモミジは燃え盛っている(ように見える)。なかなかどうしてモミジはしぶとい。これもひとえに降雨が極めて少なかったから。わずか1日。しかも俄か雨といった程度の。何はともあれ、紅葉の季節は続く。昨日は恐れていたほどの混雑ではなかったが、今日の人出は相当かもしれない。

 いざフタを開けてみれば、朝イチの行列はそうでもなかった。通天橋出口が最初の持ち場だったが、来訪者もにこやかな表情で去っていく。多くの人を魅了する錦の雲海は、安寧たる世界への構築に一役買っている。

 今日は‟マグロ“おばちゃんがいるため、団体客の誘導の際、彼女のおべっかを買うべく小走りして業務をこなしたところ、午後の休憩時に「走ってくれる人がいて助かります」と感謝の意を表明してきた。これはしてやったり。しかし、寺の中では走ってはいけないと思う。もう走るまい。彼女はお寺のためにという気持ちが強いが、本当にお寺のためになっているのかどうかは不明だ。

 この日も大国から来ている人たちのやんちゃぶりが目に付いた。人の話を聞かない。自分の主張を曲げない。先を見越せない。彼らの誘導、取り扱いは難解である。しかも、かなりの割合でカタコトの英語すらできない人が多く、そしてまたトイレの使い方も知らない。使用済みの紙が散乱しているのである。紙を水に流す習慣がないのだ。渡航者を対象としたセミナーを空港内で行ってほしいと思うのだが、それは夢の話か。

12月2日

 通天橋出口の監視役は最も怠惰なる時間であるが、その一方で、モミジ林をじっくりと鑑賞できる利点がある。新たに気付いたことが一つ。1日ごとに紅葉は変わっていくが、一日の中でも紅葉は変わる。光の加減かもしれないが、朝八時半よりも夕方四時のほうが赤色が深まっている。葉っぱに含む水分が失われていくせいか。いっときも後戻りすることなく、いささかも立ち止まることはなく、人間の意志や希望なども気に留めず、律儀に死と生を繰り返す。

 爽やかな印象の母娘が出口付近で足を止め、名残惜しそうにモミジ林を眺めている。「ここからの風景もいいですよね」と僕。「はい。ほんと、綺麗で」「ピークに向かうときの緑と黄と橙と赤のグラデーションも素晴らしいし、ピーク時も当然鮮やかですし、ピークを過ぎたあとの、地面がモミジに染まって全体が真っ赤に染まる景色も何ともいえません」「あら、そんなに変化するものなんですか」「いわゆる〝見ごろ〟はたくさんあります」「いい仕事ですねえ、紅葉を楽しめて」と会話が続く。去り際に「絶対に京都に住みたい」と呟いていたが、あの調子だと本当に移住してくるかもしれない。僕が背中を押してしまったか。

 昨日以上に人の出は少なく、手持ち無沙汰な時間が増えた。が、こんなときにこそ事件は起こるもの。渓谷でおじいさんが転んで動けなくなったという。寺の南門を少し入ったところで救急車が止まり、タンカ隊がやってきた。凄まじい怒号。そんなに大きな声を出さなくても人はどいてくれますよ。しかしまあ、なかなかの気合いぶりである。もっとも、参拝者はあまり気に留めず、何事もなかったかのようにモミジ鑑賞を楽しんでいた。日本人も図太くなったか。

12月3日

 炭酸の抜けたソーダ水のような一日であった。紅葉シーズンもいよいよ終わりに近づいてきたよう。境内の賑わいもそうだが、多くのモミジは枝がむき出しに。朝イチの行列も可愛いもの。団体さんは依然として少なくないが、体や声帯を動かす度合いが格段に減ったことで、逆に北風がたいそう身に染みる。

 太陽の光を全身に受ける日下門前が一番暖かい。立ち往生している淑女を見つけるや、声を掛ける。「どうなさいました」「通天橋の紅葉はどうかしら」「ピークは過ぎましたけど、モミジの絨毯は綺麗ですよ」「行こうかどうか迷っているの」「開山堂も立派なものです」「そうなの」「はい、上層の伝衣閣は金閣寺や銀閣寺、そして西本願寺の飛雲閣と並んで〝京の五閣〟と呼ばれています」「まあ、そうなの、それなら行ってみようかしら」。こんな会話を横から聞いていた鈴木清順氏が「まさか〝京の五閣〟という言葉が出てくるとは…おぬしも立派になったもんだのお」と感心していた。 

 さらに、これまで僕を毛嫌い、あまちゃん扱いしていた‟マグロ“おばちゃんの態度が明らかに変わってきた。彼女は今日が最後の出勤日。別れ際、「また来年、よろしくお願いします」と恭しくお辞儀をされ面食らったが、気分はけっして悪くない。とはいえ、来年は新たなる仕事に取り組んでいるはずなので口を濁した。

 そういえば仕事開始前、彼女はいつも通りせわしく動いていたため叶わなかったが、他の同僚らと集合写真を撮ったのだ。短い期間、かつ多忙な日が多く、じっくりとは語り合えなかったが、少なからずの連帯感が生まれたのは間違いない。名残惜しくないと言ったら嘘になる。

12月7日

 いよいよ最終日。もう心の準備はできている。とりたてて心のざわめきはなく、いつも通り本堂で参拝してから控室へ。今秋、初めて通天橋勤務となる女性がみんなに挨拶をしている。中学生とも見えなくもない童顔である。なんでも大原は三千院近くの寺で足かけ25年も働いているという。さらに驚くことに、僕と同年齢であることが判明した。一途さ、穢れのなさがあどけない表情や丁寧な所作に表れている。その寺は日曜が休みとのこと。そんなわけでこの寺では日曜オンリーの勤務とならざるを得ない。

 それにしても、毎日毎日、休みなく働いている人のなんて多いことか。休日を挟みながら出勤してくる男性陣とは違って、女性陣は押し並べてタフである。まあ、彼らよりも年齢が若いといえばそうなのだが。

 今日も手ごわい団体さんをうまく誘導し、ひとり気を吐いていた鈴木清順氏から、最後のプレゼントを頂いた。ここ数日ずっと気になっていたのだ、日下門の脇に生えている大きな木が。グレープフルーツを少し長くしたような真っ黄色の実がたくさんぶらさがっている。初めて日下門前に立ったときはまったく気にも留めなかったのだが…いつの間にか、大きな実に成長していた。「あれはなんですかね」と彼に尋ねると、「ああ、かりんだよ。あとで拾ってきてやる」とニヤリ。すると、仕事終了間際、「ほれ」と手渡してきた。

 遠くから見るよりも一層、艶やかで、ほんわかとした甘い香り。誰しもが笑みがこぼれてしまう幸せの玉だ。「お酒にするといい」とは清順氏。東山のことを何でも知っているし、遊び心満載である。帰りがけにホワイトリカーと氷砂糖を買って、かりん酒を作ろう。あと2年か3年後、チビチビとやりながら楽しかったあの秋を振り返ろう。その頃にはきっと、地に足のついた生活を送っているに違いない。


虎石 晃

1974年1月8日生まれ。東京都立大学卒業後は塾講師、雑誌編集を経てデイリースポーツ、東京スポーツで競馬記者を勤める。テレビ東京系列「ウイニング競馬」で15年、解説を担当。著書2冊を刊行。2024年春、四半世紀、取材に通った美浦トレーニングセンターに別れを告げ、思索巡りの拠点を京都に。趣味は読書とランニング。

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