第10回 結局、ハイデガーは反ユダヤ主義者だったのか?(3)
前回までの二回にわたって、ハイデガーが巷間言われているように反ユダヤ主義者であるのか、もしそうだとすれば、それがどのような性格のものなのかを検討してきた。ハイデガーはユダヤ人に対する差別意識をまったくもたないわけではなかった。それが日常における行動や言動にはしなくも示されることも時にはあった。 しかし他方で、彼はユダヤ人の友人や弟子を多くもっており、彼らに対しては基本的に公平な態度を取っていた。そもそもアーレントが、ユダヤ人の学生に対して冷淡な態度を取っているというハイデガーに関するうわさを耳にして本人にその真偽を問い合わせているのも、彼女にとってハイデガーが反ユダヤ主義者であることは思いも及ばなかったからだろう。またヤスパースは戦後に、ハイデガーがバウムガルテンの所見で用いた反ユダヤ主義的な言い回しを取り上げて、「1933年にはある一定の連関のなかで反ユダヤ主義者だった」との判断を下した。しかしこうした指摘は、それ以外の点でハイデガーが反ユダヤ主義者である徴候を見せていなかったことを逆に示している。 したがって、ハイデガーの日常の片言隻句や些細な行動をとらえて、彼を反ユダヤ主義者呼ばわりするのは酷であろう。もしそうした基準を適用すれば、私自身も含めて何らかの意味で差別主義者であることを免れる人間はほとんど存在しないことになるだろう。 ハイデガーは今も述べたように、日常生活において目立つ仕方で反ユダヤ主義的な態度を取ることはなかったにせよ、大学の学長という立場で反ユダヤ主義を標榜するナチスを支持し、その宣伝に一役買った以上、反ユダヤ主義者でなかったというのは無理があるのではないか。しかも彼が戦後にナチス加担の責任を認めて公に謝罪していないとすれば、つまりしばしば非難されるように、彼がナチスによるユダヤ人の大量殺戮に対して「沈黙」を守り続けていたとすれば、彼はやはり反ユダヤ主義者だと見なされても仕方がないのではないか。 拙著『ハイデガーの哲学』(講談社現代新書、2023年刊)で詳しく論じたように、20世紀を代表する詩人パウル・ツェラーン(1920-1970)もハイデガーの思想的業績を高く評価しながらも、ナチスにより両親が殺害されたユダヤ人として、彼がホロコーストに対して明確な態度表明をしないことに対して大きな不満を抱いていた。 またかつてのハイデガーの教え子でアメリカに亡命したフランクフルト学派のヘルベルト・マルクーゼ(1898-1979)も、戦後にハイデガーに対して書簡で、ナチスに加担したことについての「謝罪」を求めたことがあった。ハイデガーはそれに対する返信(1948年1月20日付け)で、自分がすでに1934年から1944年まで講義や演習においてナチズムに対して明確に批判的な態度を示していたことを指摘したうえで次のように述べている。「1945年以降に過ちを認めることは私にはできませんでした。なぜならナチの信奉者たちは嫌悪を催させるような仕方でその変心を表明しましたが、私には彼らと共通するところは何もなかったからです」。そしてこれに続けてハイデガーは次のように主張する。 「何百万人ものユダヤ人を殺戮した政治体制、テロを通常の状態にしてしまい、かつては実際に精神や自由や真理という概念と結びついていたものすべてをその反対へと転倒させた政治体制について」あなたが表明されている厳しく正当な非難に対して、私が付け加えることができるのはただ次のことだけです。すなわち「ユダヤ人」の代わりに「東方ドイツ人」を入れることができ、そうするとまさに同じことが連合国側のある国にも当てはまるということです。そこには次のような違い、つまり1945年以降、起こったことすべては世界中に知られているのに対して、ナチの残虐なテロはドイツ国民には実際に秘密にされていたという違いはありますが。[1] 今日であれば、ナチスの罪を相対化する「歴史修正主義」として非難されてもおかしくない主張である。もちろん当時であっても物議をかもす主張であろう。そもそも「ユダヤ人」と「東方ドイツ人」を等置することが許されるだろうか。たしかにソ連軍の侵攻とともに、東ヨーロッパから千数百万人のドイツ人が強制的に追放され、その混乱で200万人が亡くなったことは事実である。犠牲者の人数はナチスによるユダヤ人の虐殺に匹敵するとまでは言わないにせよ、東方ドイツ人のそれもけっして少ないわけではない。またナチスの目標がドイツの支配地域からのユダヤ人の追放であるとすれば、東方ドイツ人の追放はそれと何の違いがあるのかと問うこともできるだろう。 いずれにせよ、ハイデガーの見るところでは、両者はその本質において異ならないものであった。ナチスによるユダヤ人虐殺が非難されるべきであることは当然として、ましてそうであるならば、なぜ今、白日の下にさらされている同様の残虐行為が見過ごされてよいということになるのか、こうハイデガーは反問するのである。(もちろんナチス体制下でも、ユダヤ人の殺戮についてドイツ国民が知らなかったはずはないという批判はありうる。しかしそうであろうとなかろうと、東方ドイツ人の追放がホロコーストに道徳的に匹敵する蛮行であるという論点には影響がないので、ここではその点は問題にしない。) しかしそもそも東方からドイツ人が追放されたのは、ナチスが彼らの存在を口実としてその居住地のドイツへの帰属を主張し、それを力によって実現しようとしたからである。ドイツ人の追放は今後、そうした火種を残さないようにするためであり、それは自業自得でしかないのだという見方もありうるだろう。多くの人がそのように考え、またドイツ人もそうした議論を受け入れたがゆえに、東ヨーロッパにおけるドイツ人の民族浄化はユダヤ人虐殺ほどには問題にされなかったのである。 ハイデガーもこうした議論を知らないわけではなかった。ある覚書では、ドイツ人に対する犯罪行為を免責する上述のような論法に真っ向から異論を唱えている。執筆年代不詳の「政治」という題が付された遺稿で、ハイデガーは次のように述べている。 われわれがロシアの助力によって強いられたドイツの完全な敗北ののち、ドイツを骨の髄まで搾取し、競争者としては排除しようとするならば、「終戦」後にはじまる絶滅(Vernichtung)の遂行のためには、「処罰」という口実が必要である。ひとはたしかに以前から国民をナチのくびきから解放することのみを叫んでいた。だから強制収容所プロパガンダほど望ましいものはない――このプロパガンダは「事実」に立脚することができつつ、他のすべてのことから目をそらせさせて、ドイツ人を罪の告白やそれに類したことへと追いたてる絶大な可能性を提供する――これに守られて、「ひと」は自身の目論見、すなわち闘争手段としての「道徳的な無防備化」を貫徹する。その際、次のようなドイツ人が存在する。すなわち勝者が道徳と礼儀正しさに満ちあふれつつ、ただドイツ人の強制収容所という恥ずべき悪行のために、彼らが今推進している絶滅という非行へと(道徳的に)強いられているのだと信じ、また信じこませようとしているドイツ人である――/これらすべてはただロシアの行軍場所を用意するものでしかない。[2] 前回の雑記で、ハイデガーの遺稿管理者が「黒いノート」の刊行後、ワーキンググループを設置し、遺稿の調査を行ったことについて述べた。上掲のテクストはその調査の過程で、政治的に問題がありうるものとしてピックアップされた5つのテクストのうちのひとつである。クラウス・ヘルト編『ハイデガー遺稿の新たな調査についてのマールバッハ報告』においてそれぞれのテクストの翻刻と解説の執筆を担当したトラヴニーは、この覚書が書かれた時期を同定するのは簡単ではないと述べている。くだんの覚書は第二次世界大戦の終戦直前に書かれたとも、その後に書かれたとも推測しうるという。というのも、彼によると、強制収容所のことはドイツ国外においては、すでに1945年以前から取りざたされていたからである。 ハイデガーはここで、外国人が「強制収容所プロパガンダ」、すなわちドイツ人によるユダヤ人の大量虐殺という「事実」を、ドイツ人の「絶滅」を正当化する口実に利用していると主張している。『マールバッハ報告』に採録された上のテクストで述べられている「絶滅という非行」は、マルクーゼ宛て書簡の内容を考慮に入れると、ソ連による東方ドイツ人の追放を指すと考えるのが自然である。そうだとすれば、このテクストはやはり戦後に書かれたものだということになるだろう。 ハイデガーは東方ドイツ人の追放について、通常はナチスによるユダヤ人の大量殺戮を指す「絶滅」という言葉を使っている。ここからホロコーストの比類のない残虐性を相対化する態度を読み取り、不適切だと感じる人も多いだろう。そうだとしても、東方ドイツ人の追放はたしかに組織的な民族浄化であったことは事実であり、ナチスによるユダヤ人の追放と虐殺が非難されるのであれば、こちらも問題にされてしかるべきである。それにもかかわらず、われわれがそうすることになぜ積極的になれないかというと、やはりドイツ人の追放にはしかるべき理由があったという思いがあるからだろう。つまりユダヤ人の強制収容所での殺戮のように、ドイツ人はあれほど残虐な行為に手を染めた以上、彼らが「処罰」されるのは当然だという感覚がそこにはある。 しかしハイデガーはそうした捉え方に反対して、「処罰」という口実のもとに遂行される「絶滅という非行」は、ナチスが行ったユダヤ人の「絶滅」と本質において変わりがないという立場を取る。これまで私がさまざまなところで論じてきたように、彼はナチ体制に顕著に見られる暴力性を西洋形而上学の完成形としての「主体性」がその「力」という本質を無条件に展開したことの帰結と捉えていた。このような見地から、ハイデガーは戦争の終わり、すなわちナチスの崩壊は主体性の克服を意味するのではなく、主体性の「悪」はこれまでどおり世界において存続していると主張したのである[3]。彼からすると、ソ連の蛮行こそが主体性がこの大地を支配し続けていることの何よりの証拠であった。 しかしこのように、ナチスによるホロコーストとソ連による東方ドイツ人の追放を同等のものと見なすことは、ナチスの犯罪を相対化する「歴史修正主義」としてこれまで厳しい非難に晒されてきた。そしてハイデガーも自身の議論に対して、こうした批判が加えられることは重々承知していた。そのうえで彼は上の覚書で、まさにそのようにナチスの犯罪と当時のソ連の行為を同列に捉えることへのためらいが、ソ連に対して「行軍場所」、すなわち制約を受けずに犯罪行為を遂行する余地を与えていると主張するのである。 ハイデガーのいうところの「強制収容所プロパガンダ」による「道徳的な無防備化」は、その闘争手段としての威力を今日においてもまったく減じていないようだ。ロシアが今から3年前の2022年2月、ウクライナにはびこるナチズムの根絶、すなわちウクライナの「非ナチ化」を目的として同国に侵略をはじめたのも、ロシアがいまだにこのプロパガンダを有効であると信じ、「闘争手段」として意識的に用いていることを示している。 第二次大戦中から終戦後にかけての東方ドイツ人の追放は、ナチスの蛮行が度を超えたものであったために、ドイツ人に対する処罰というレトリックがまだ何ほどかは正当性をもって受け止められる余地があった。しかしロシアがウクライナの独立性の根絶を志向するナチスまがいの非行をナチスとの戦いと称して遂行するのは、どう見ても悪い冗談でしかない。それでも非ナチ化というプロパガンダは、ロシア国内では戦争に対する支持を獲得するという点において十分に機能しているようである。そしてロシアに対するドイツの対応がつねに及び腰であるのも、「強制収容所プロパガンダ」によるドイツ人の「道徳的な無防備化」の効果ではないだろうか。 2023年10月に始まったイスラエルとガザの紛争に関しても、似たような状況が観察される。イスラエルがハマスのテロ行為に対する反撃であるとはいえ、その被害とは釣り合わない破壊と死者をガザ地区においてもたらしたことは国際社会において強く非難されている。それにもかかわらず、ドイツがイスラエルを無条件に擁護していることは、「強制収容所プロパガンダ」による「道徳的な無防備化」が今日なお強力に作用していることを明確に示している。 ハイデガーが戦後に一貫して主張しているのは、ナチスによって顕著に示された暴力性、残虐性はナチス固有のものではなく、近代的な主体性の本質に由来するものだということである。それゆえナチスが崩壊しても、ナチスが体現していた主体性の「悪」は別の主体によって担われている。それにもかかわらず、われわれはナチスが犯した犯罪行為をナチス固有の問題と見なし、ナチスが消滅したから、世界はそうした「悪」から免れていると考えている。こうした態度は今日なおはびこり続ける「悪」を見逃し、結果として自分が「悪」の片棒を担いでいることに対する無自覚をもたらす思想的怠惰でしかない、こうハイデガーは警告するのである。 このような議論によって、ハイデガーはナチスによるユダヤ人の大量殺戮を矮小化しようとしているのではない。むしろユダヤ人のホロコーストという事実を真摯に受け止めるのであれば、問題の真の由来を突き止め、その克服を目指すべきだと主張しているのである。彼の「存在の思索」そのものがそうした「悪」の克服を目指す試みであった。そしてハイデガーはマルクーゼに対して、まさにこうした「存在の思索」の観点から語りかけていたのである。 しかしこうしたハイデガーの立場は、ナチスの反ユダヤ主義、つまりそれに基づいたユダヤ人の虐殺を歴史的に比類のない絶対的な「悪」と見なす人びとにとっては、そうした絶対悪の単なる相対化にしか見えないだろう。マルクーゼやツェラーン、そして世間の大半の人びとが、ナチスによる反ユダヤ主義の悪を一般化し、相対化するハイデガーの姿勢に困惑した。そして人びとはハイデガーのこうした態度それ自体を反ユダヤ主義的だと見なしたのである。したがって、ハイデガーが「存在の思索」に根ざしたこのような態度を捨てない限り――これは「存在の思索」そのものを放棄することであるが――、反ユダヤ主義の嫌疑が彼から払拭されることは永久にないだろう。 [1] Martin Heidegger, Reden und andere Zeugnisse eines Lebensweges, Gesamtausgabe, Bd.16, Vittorio Klostermann, 2000, S.431. [2] Marbach-Bericht über eine neue Sichtung des Heidegger-Nachlasses, erstattet von Klaus Held, Frankfurt am Main, 2019, S.32f. [3] 拙著『ハイデガーの超‐政治 ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い』明石書店、2020年、254頁以下。 轟 孝夫 経歴 1968年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。
現在、防衛大学校人文社会科学群人間文化学科教授。
専門はハイデガー哲学、現象学、近代日本哲学。
著書に『存在と共同—ハイデガー哲学の構造と展開』(法政大学出版局、2007)、『ハイデガー『存在と時間』入門』(講談社現代新書、2017)、『ハイデガーの超‐政治—ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い』(明石書店、2020)、『ハイデガーの哲学—『存在と時間』から後期の思索まで』(講談社現代新書、2023)などがある。
この記事へのコメントはありません。