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第3回 倭国大乱と邪馬台国の誕生

 第1回で示した倭国大乱を経て邪馬台国が誕生する経過を示した魏志倭人伝を再掲します。

【 倭国は初め男王が治めていたが住むこと70〜80年を経て倭国大乱が起こり相攻伐して年を経る。共に一女子を立てて王とした。女王卑弥呼は年が長大で鬼道に仕え、夫はおらず男弟が補佐している。邪馬台国は宮室、楼観(見張台)、城柵があり守備兵がいる。民は租賦(租税)を納める。邪馬台国の兵器は矛、楯、木弓、鉄の鏃(矢じり)などである。養蚕をして絹織物を紡いでいる。】

【 翰 苑:中元の際に紫綬の栄】

 奈良説の学者が説明している高地性集落については、180年ごろに終結した倭国大乱より約100年後の遺構なので後々の回でお話しします。今回、邪馬台国と卑弥呼の政治体制へと進める予定でしたが、意外と手間取ってしまいましたので次回にお話しします。


高橋 永寿(たかはし えいじゅ)

1953年群馬県前橋市生まれ。東京都在住。気象大学校卒業後、日本各地の気象台や気象衛星センターなどに勤務。2004年4月から2年間は福岡管区気象台予報課長。休日には対馬や壱岐を含め、九州各地の邪馬台国時代の遺跡を巡った。2005年3月20日には福岡県西方沖地震に遭遇。2014年甲府地方気象台長で定年退職。邪馬台国の会会員。梓書院の『季刊邪馬台国』87号、89号などに「私の邪馬台国論」掲載。

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