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第3回 アクラガス

 エンペドクレスの故郷、アクラガスを訪ねる。

 現在のアグリジエント、シケリア島の南西部にある観光地としても有名な遺跡群である。アグリジエントを訪れてまず驚くのは、そこに巨大なドーリア様式のギリシア神殿群が「神殿の谷」と呼ばれる高台に数キロにわたってほぼ一列に立ち並んでいることである。ほぼ原形を保ったコンコルディア神殿、破壊されてはいるが今なお威容を誇るヘラ神殿やヘラクレス神殿など、それら神殿の威容からアクラガスはその盛時には隆盛を誇ったポリスであったことが想像される。およそ30万の人口を擁するポリスであったと伝承されている。「おお友よ、褐色のアクラガス河畔の大いなる町に、都の高みに住む人々よ、よき業に心がける人々よ」(断片B 112)とエンペドクレスはその詩歌の中で呼びかけているが、「褐色」は単なる枕詞ではなく、文字通り褐色の大地の上に芸術的ともいうべき諸神殿が立ち並ぶポリス、それがアクラガスなのである。

 その建造物の様式からアクラガスはイオニア系の人々が植民したポリスではなかったかと想像されるが、エンペドクレスもまた本来はイオニア自然学の系譜に属する哲学者であった。火、空気、水、土の四元素(エンペドクレスの表現では「四つの根」)と、それらが「愛」によって結合されたり「争い」によって分離されたりするところにエンペドクレスは世界交替の循環を見ているが、こういった自然観は明らかにイオニアの自然哲学のそれである。彼が自然の探究にいかに情熱を注いだか、彼の『自然について』の諸断片が雄弁に物語っている。エンペドクレスは、アリストテレスを除けば、ギリシア最大の自然哲学者であったといって過言でないであろう。言い換えれば、彼は本来は「存在の哲学者」なのである。そこに「ピュタゴラス」(主観性)がやってきたのである。

 ピュタゴラス哲学との出会いは彼にとり宿命的であった。ピュタゴラス主義、主観性原理との接触は彼の自意識を目覚めさせずにいなかったのであり、その瞬間彼の前で世界は一変したのである。大地が突然「アテ(禍)の歩む喜びなき大地」(断片B 121)に一変してしまっている。

 またピュタゴラス哲学との接触の結果、魂の輪廻説が彼を捉えた。それも魂一般ではなく、己の魂の転生である。「なぜならわたしはすでに一度は少年であり、少女であり、薮であり、鳥であり、海に浮かび出る物言わぬ魚であったがゆえに」(断片B 117)。

 魂の輪廻説は自我の自責意識と永世を希求する自我個体の欲求が裏で手を結んだ主観性の論理の極限形式であるが、この極限形式がエンペドクレスを襲ったのである。その結果、彼の中でまどろんでいた自意識が突然目覚めることになった。この自意識の目覚め、主観性のこの汚染はいわば処女地へのはじめてのそれであっただけに鮮烈であった。エンペドクレスの『カタルモイ』の諸断片が語る叫びにも似たあの痛切な響きは青年の失楽園体験のそれを思わせるものがある。「わたしは泣き叫んだ。見も知らぬ土地を見て」(断片B 118)。「われもまた今はかかる者らのひとり。神のもとより追われたる者にして、放浪の身」(断片B 115)。「アイテールはわれらを大海へと追いやり、大海は大地へと吐き出し、大地は太陽の光の中へ投げ捨て、太陽はアイテールの渦の中へ投げ捨てる。それぞれが他から受け取るが、すべてがわれらを忌み嫌う」(断片B 115)。「何という栄誉から、何と大きな祝福から追放されて」(断片B 115)とエンペドクレスは叫ぶ。

 ここに語られているのは失楽園体験のあの決定的な感覚であり、根源的な孤独感である。何かから落ちこぼれたという、あの根源的孤独感である。エンペドクレスは突然自分を自然に忌み嫌われる存在と感じるようになったのである。自らをすべてに忌み嫌われる存在と感じるというこのことにはある原体験が語られているのであり、エンペドクレスにおいては自然との調和、自然との一体感は完全に失われている。自然存在が通常有する祝福感覚、祝福に包まれているという全体感覚が完全に失われているのである。何がそれを失わせたのか。「主観性」である。主観性の自意識、自責意識である。主観性によってエンペドクレスは自然(ピュシス)から切れたことを決定的に感じ取ったのであり、世界から打ち捨てられたとの感覚を持ったのである。自らをすべてに忌み嫌われる存在と感じるというこの根源的孤独感、これは主観性(自我意識)がはじめて自覚された時の最も衝撃的な感覚である。それはまた自らを異邦人としてしか感じられない主観性の自己感覚でもある。エンペドクレスは異邦人たることを自覚したおそらく最初のギリシア人であった。何からの異邦人か。自然(ピュシス)からのである。存在からのである。

 自意識の目覚めは祝福の喪失感情と裏腹であるが、エンペドクレスの場合にはそれが初めてのそれであっただけに痛切であった。「一万年周期の三倍さまよわねばならない」(断片B 115)と語っているところからもその痛切感を感得しなければならない。エンペドクレスの喪失感覚はまさに青年が体験するそれであった。またその自意識も青年期のそれに似て、バランスを欠いて肥大化している。「もし神が存在するなら、どうしてわたしが神でないことに耐えられようか。だから神はないのだ」とニーチェはいったが(『ツァラトストラ』)、エンペドクレスの場合は少し違う。彼の場合はこうである、「もし神が存在するなら、どうしてわたしが神でないことに耐えられようか。ところで神々が存在することは自明である。それゆえわたしもまた神々のひとりでなければならない。」

 いずれも肥大化した主観性の自意識の命題的表現であるが、両命題間のこの差異はエンペドクレスがまだ基本的には神々と共に自然の境内にいる哲学者であったことを物語っている。もう完全にその外にいた近代人ニーチェの三段論法の結論部は神の存在の否定であった。まだ神々の存在が自明な自然の境内にいたエンペドクレスの結論部は上のようなものであって、神の存在そのものを問題にするなどということは彼には思いもよらないことであった。彼の関心は自分も神々のひとりかどうかということにのみ向けられているのであり、そうでないことが許せない以上、彼は神でなければならないのである。かくして事実彼は神々のひとりとして公衆の前に立ち現れたし、また子供たちをしたがえて神として街を練り歩いた。

 神として街を練り歩くということが白昼堂々となされえたということ、また驚きの目で見ながらもそれをギリシア世界が許容したということ、まずそのことにわたしたちは驚きを禁じえないが、それにもまして一層驚くべきはエンペドクレスが心底から真剣であったということである。彼は心底からして神々のひとりでなければならなかったし、また人々にそう思われねばならなかった。彼の自意識は彼が神々の一人であることに対するいささかの疑念にも耐ええなかったとみえて、自らが神であることを決定的に証明するためにエトナ火山に跳び込んだといわれる。

 いささか信じがたいといった気味を含みつつも学説誌の中で執拗に語られるこの伝承にもやはりそこにはある種の真理が語られているのではないかとわたしは思う。また学説誌家たちもそこにある種の真理を感じ取っていたからこそ、この一見突飛とも思われる伝承を執拗に語り伝えてきたのではないか。真理は必ず自らを伝承する。

 エンペドクレスのこの極端がもし根源からのものであるなら、エンペドクレスこそ真に根源の動向をわたしたちに垣間見せた哲学者だったということができよう。彼は二つの原理(存在と主観性)によって引き裂かれた哲学者なのである。二つのプレートに乗った大陸のごとく彼は引き裂かれたのである。われわれも引き裂かれているが、しかしわれわれは引き裂かれてしまっているためにそのことにもうほとんど痛痒すら感じない。しかしエンペドクレスはまさに引き裂きの現場なのである。彼はうめき声を発さずにはおれなかった。その発声は当然のことながらあからさまなものにならざるをえなかった。プロティノスはエンペドクレスを「あからさまに語るピュタゴラス」(『エンネアデス』)と形容しているが、けだし本質を突いた形容といえよう。

 「存在と主観性」の対立と葛藤こそ西洋2500年の形而上学に通底する対立と葛藤であった。プラトンはこの戦いを「存在をめぐる巨人闘争」と呼んでいる。この「存在をめぐる巨人闘争」はそういう意味においてまさに西洋形而上の運命であり、西洋精神史における最も根本的な対立なのである。そしてこの両原理の対立と葛藤が一個体内において生起した最初の例がアクラガスの哲学者エンペドクレスなのである。エンペドクレスは「存在をめぐる巨人闘争」の現場となった最初の哲学者であったといって過言でないであろう。これほど大きい戦いの現場となった個人というのはまさに稀有な事例であり、そういう意味において彼もまたひとりの哲学者というよりは、哲学そのものともいうべき現象だったのである。彼こそは西洋形而上学の運命の具体的表現なのである。

 シケリア島東岸の景勝地タオルミーナには舞台部分も残した(これはかなり珍しいことである)ギリシア円形劇場の遺跡がある。その舞台の彼方にエトナ火山が遠望される。青い海からなだらかにせり上がっていく白い山容が青い空を背景に立ち上がっている。その山頂部分にはかすかに白い噴煙が見られる。過剰な自意識によってそこに跳び込んだエンペドクレスのことを想うとき、あのような悲劇(あるいは喜劇、ないしは喜劇という名の悲劇)を包含しながらもなおも世界はかくも美しいのかと、しばし想いを禁じることができなかった。


クサカベクレス

1946 年京都府生まれ。別名、日下部吉信。立命館大学名誉教授。1969 年立命館大学文学部哲学科卒。75 年同大学院文学研究科博士課程満期退学。87-88 年、96-97 年ケルン大学トマス研究所客員研究員。2006-07 年オックスフォード大学オリエル・カレッジ客員研究員。著書に『ギリシア哲学と主観性――初期ギリシア哲学研究』(法政大学出版、2005)、『初期ギリシア哲学講義・8 講(シリーズ・ギリシア哲学講義1)』(晃洋書房、2012)、『ギリシア哲学30講 人類の原初の思索から――「存在の故郷」を求めて』上下(明石書店、2018-19)、編訳書に『初期ギリシア自然哲学者断片集』①②③(訳、ちくま学芸文庫 2000-01)など。現在、「アリストテレス『形而上学』講読」講座を開講中(主催:タイムヒル)。

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