第1話 東三条邸の月
真白の母は娘の斎王卜定を聞き、驚きのあまり倒れてしまったらしい。 父と会いに行ったが、母は目を覚まさなかった。 斎王に選ばれた者は、まずは自邸で潔斎に入る。 親しい人とまったく会えなくなるわけではないと皆が真白に説くが、さらに身を清めるためにいずれ場所を移ることになる。 母のことを思いながら、真白は着替えた。潔斎用の白い装束は、真白の肌をますます照らした。 「こんなに似合うなんて、皮肉なものですね。おうつくしい真白さまのお肌が、今では恨めしい」 泣き崩れた乳母を照葉が抱え起こした。 「みっともないですよ、お母さま。真白さまご本人が、気丈になさっていらっしゃるのに」 「お婆さんには耐えられません。こんなことって」 そろそろ部屋を移る時刻だが、真白の母はとうとう来てくれなかった。 とうに日は沈み、月の光が室内にまで届いていた。 真白は、自分の髪につけていた紅色の結い紐を解き、几帳の端に結びつける。今朝、母が結ってくれた紐だが、これから向かう白い世界には必要ない。 父に教わったあの歌が、唇から自然とこぼれた。 『秋の夜の 月の光し 明かければ くらぶの山も 越えぬべらなり』 ほんの少しだけ、後ろを振り返った。 しかし、そこにはなにもなかった。ただ、懐かしい香りが残っている。 (続く) ※本作は以下の文献を参照して執筆しています。 藤宮彩貴(ふじみやさき) 東京都杉並区生まれ。東京都立大学人文学部卒業。一般企業や都内の区立図書館での勤務などを経て、2020年第3回富士見ノベル大賞審査員特別賞受賞。翌年『焔の舞姫』にてデビュー。ほかに『平安後宮占菓抄』(ともにKADOKAWA富士見L文庫)がある。趣味は寺社仏閣巡り。好きなお寺は京都・南山城の浄瑠璃寺。ほぼ毎日、一万歩歩いて作品の構想を練る日々。
山中智恵子『斎宮女御徽子女王』大和書房、1986年
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