第1話 東三条邸の月
翌日。晴天のこの日も、真白は庭に下りていた。 最近は鞠遊びがお気に入り。照葉を相手に息を弾ませて駆け回っている。驚くほど白い真白の腕を、照葉は眩しく感じた。 真白の乳母は外遊びを渋るが、笑いながら真白は袖を翻して跳ねる。ときには木にも登ってしまう。 照葉の投げた鞠が、思ったよりも高く飛んだ。木々の間を抜け、砂の上を走る。 「鞠が」 ころころと転がった鞠は、庭の南池に浮かんだ。 「申し訳ありません。取って参ります」 袖をまくりながら、照葉が池に入ろうとすると真白が照葉の裾をつかむ。 「待って。これを使ってみてはどうかしら」 一尺ほどの長さがありそうな木の枝を拾い、渡してくれた。 「助かります。ありがとうございます」 踏み出すと、濡れた石で少し滑った。覗き込んだ池は、意外と深くてどきりとした。底も見えない。 もう一度、照葉は鞠を見据える。 ――池の水面に花が映り、揺れている。思わず、見とれそうになった。 息を詰め、できるだけ腕を伸ばし、池の鞠を枝で寄せる。女の子の遊びに合う、鮮やかな色の鞠が水面で上下に動く。 「がんばって、照葉」 「あともう少し」 照葉の横で、真白は手を叩きながら大きな声を上げた。励まされ、歯を食いしばる。 足の脛に水草が当たって痛い。尖った石を踏んだ気もするが、耐える。 手応えがあり、ようやく届いたと思ったそのとき、乳母が足音を立てながらふたりのいる池のほとりにやってきた。 「なにをなさっておられます、このような場所で!」 乳母の放った険しい声が庭に轟いた。 照葉の装束は袖も裾も濡れていた。真白も足のくるぶしあたりまで、池の中に入れている。 「照葉。真白さまをお守りするのが、そなたの役目なのに」 照葉にとって実の母とはいえ、真白の乳母。真白を守るためならば、自分の子でも叱りつける。 「真白さま、申し訳ありません」 渡された枝を落した照葉は、真白をすぐに池から上がらせた。 「おけがはございませんか」 「ないわ。照葉も痛いところはない?」 「私は、平気です」 「足を拭いましょう。さあ、真白さまこちらへ。なんと、足の裏に砂がたくさんついていらっしゃる」 「くすぐったい」 真白の無事を確かめた乳母は、自分の袖で濡れてしまった真白の足を丁寧に拭った。 「気の利かない乳姉妹にまでおやさしい、真白さま。ありがとうございます」 「照葉は鞠を取ってくれようとしたのよ」 「あれは、のちほど家人(けにん)に取らせましょう。さあ、父君がお呼びです」 寝殿のほうを振り返ると、女房が忙しそうに歩いており、そのたびに御簾や几帳(きちょう)[室内で用いる布製の仕切り。貴人の姿を直接見せないための調度]が揺れる。声を高くして話している者もいる。泣き声も混じっているようだ。 大騒ぎだった。 この東三条邸に、なにかが起きたことだけは照葉にも伝わってきた。
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