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第7回 狗奴国との戦争と卑弥呼の死 

 今回は邪馬台国と狗奴国との戦争についてお話しします。

 一方、奈良説では狗奴国を東海地方とする説明が多いのですが、東海地方は近畿地方の東にあります。またしても自説に合わせて南は東の誤りとして魏志倭人伝を改変することになってしまいます。しかし、誤っているのは奈良説を唱える学者の方ではないでしょうか。それに、近畿地方と東海地方は共に1メートルを超えるような大型銅鐸を威信財にしている同じ文化圏にあり、交易の様子も見られて不和であるようには見えません。ともに鉄の入手ができないため、鉄鏃ではなく石鏃や銅鏃を使っている後進地域同士です。

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 狗奴国との戦争中に、247年または248年に突如として卑弥呼は死んでしまいます。あまりにも唐突な記事なので、卑弥呼は戦死したとか、卑弥呼の霊力が衰えたことにより劣勢になり、その責任を取らされて殺されたとか、過労で寿命が尽きたとか、様々な説が唱えられています。

 奈良説では卑弥呼の墓は纏向遺跡にある前方後円墳の箸墓古墳であるとしていますが、この古墳は全長が280mもあり大き過ぎます。250年前後にまったく素地が無く、いきなり巨大前方後円墳が築かれることはあり得ないと私は思います。纏向遺跡には全長100m前後の勝山古墳や矢塚古墳などの箸墓古墳とは前方部の形が異なる古墳もあるのですが、これらの古墳が卑弥呼の墓だと主張する考古学者は私の知る限りいません。150mに足りないので検討する意欲が湧かないのかも知れません。

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▲平原遺跡・1号墓

 この墓が有力視されるのは方形周溝墓の大きさではなく、副葬品が他のどの墓とも違って格段に豪華なことです。副葬品は後漢式鏡を多く含む銅鏡が弥生時代で最大の40面もあり、素環頭太刀(鉄刀)1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類多数の三種の神器が揃っています。これらはすべて国宝に指定されています。銅鏡のなかには直径46.5センチメートルの内行花文鏡が5枚もあり、これは中国大陸にもない大きな銅鏡なので国産です。副葬品の中には武器がほとんどなく、代わりにネックレスやブレスレットなどの装身具が多いこと、中国で女性が身につける「耳とう」と言われるイヤリングが副葬されていることから、墓の主は女王と見られており、卑弥呼に相応しいのです。

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 魏志倭人伝の記述は突然ここで終わってしまいます。邪馬台国がその後どうなったのか知りたいですよね。ご安心ください、邪馬台国のその後についてはわかる手立てがあるのです。それについては次回から順序立てて説明していきます。


高橋 永寿(たかはし えいじゅ)

1953年群馬県前橋市生まれ。東京都在住。気象大学校卒業後、日本各地の気象台や気象衛星センターなどに勤務。2004年4月から2年間は福岡管区気象台予報課長。休日には対馬や壱岐を含め、九州各地の邪馬台国時代の遺跡を巡った。2005年3月20日には福岡県西方沖地震に遭遇。2014年甲府地方気象台長で定年退職。邪馬台国の会会員。梓書院の『季刊邪馬台国』87号、89号などに「私の邪馬台国論」掲載。

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