第22回 名前を消されたハイデガー(2)
前回の記事では、2020年にフライブルク市にあるハイデガーの名前の付いた遊歩道から、彼の名前が外されたことを取り上げた。2012年にフライブルク市が市内の千三百すべての道路の名称の再検討を行うことを決議した。それを受けて、歴史学者を主体とする委員会で検討が行われた結果、12の通りの名前の変更が推奨された。そこにマルティン・ハイデガー・ヴェークが含まれていたのである(「ヴェーク(Weg)」は「道」を意味するドイツ語)。 委員会の検討結果が記された『フライブルクの道路名の検討委員会最終報告書』には、名称変更の対象となったそれぞれの通りについての所見が収録されている[1](以下、本報告書の参照箇所はカッコ内にページ数のみ記載する)。前回はとくにハイデガー・ヴェークについての所見の内容を詳しく検討した。そこに記された情報で興味深かったのが、彼の名前が自宅近辺の散歩道に付けられたのが1981年で、命名が戦後かなりの時間を経てから行われていたことである。実はカテゴリーA(改称を推奨)に分類された12の道路名のうち、6つが戦後になって命名されたものであった。しかもそのうちのすべてが国民社会主義(人種主義も含む)との関係が改称を必要とする理由とされている。これらの道路のうちには1997年に名前が付けられたものもある[2]。たった20年で名前を変えられてしまったのだ。 なおカテゴリーB、すなわち改称はしないが説明標識を付けるのが妥当とされた15の道路名についても6つが戦後の命名である。そのうちの4つが国民社会主義との関係を理由とするものである。 以上のことからわかるのは、少なくとも20世紀のあいだは、ある歴史的人物が過去にナチズムと関わりをもっていたかどうかは、その人物の名前を通りに付けるにあたって、それほど大きな問題にはならなかったということである。もちろんナチ党の役職に就いていたとか、親衛隊員であったなどの経歴があれば、当時でも問題視されたであろう。しかし学者や文化人がその立場でナチスに協力したことに対しては、人びとはそれほど神経質になっていなかったのである。 そうした状況が21世紀、とりわけ2010年代に入ると一変した。それまで問題にされていなかったナチスとの関係が急に取りざたされるようになり、そうした過去をもつ者に与えられていた公的な顕彰を剥奪するという動きが出てくるのである。前々回の記事(第20回「ナチ時代の学問と反ユダヤ主義」)で取り上げたフィンランドの数学者ロルフ・ネヴァンリンナの事例でも、ナチスに協力したという理由でロルフ・ネヴァンリンナ賞から彼の名前が外されたのは2018年であった。この賞が設立されたのは1981年であるが、そのときはネヴァンリンナの過去は問題にされなかったのである。 ここで興味深いのは、こうした過去の政治責任の追求が厳しくなったことによって、ハイデガーと深い因縁をもつ二人の人物も道路名の見直しの俎上に載せられた点である。ただしこの二人はハイデガーとは異なりカテゴリーBの対象であった。 そのうちの一人がハイデガーと同郷のメスキルヒ出身で、フライブルク大司教にもなったコンラート・グレーバー神父(1872-1948)である。彼はハイデガーがコンスタンツのギムナジウムに通っていた際に居住していた神学生寮の寮長を務めていた。その際、ハイデガーにフランツ・ブレンターノ(1838-1917)の著作『アリストテレスによる存在者の多様な意味について』を与え、彼に存在論への関心を呼び覚ましたことはよく知られている。 報告書の所見によると、グレーバーはナチスが政権を獲得した当初、ナチスを支持し、親衛隊の賛助会員となった。また彼は公刊物や説教において、キリスト教的な反ユダヤ主義を唱えていた。他方で彼は1934年以降、ナチ政権から距離を取るようになり、キリスト教に改宗したユダヤ人の救援に尽力したりもした。また彼は説教において公然と体制を批判することもあった。しかし彼の大司教という地位と民衆からの人気によって、当局からの訴追はかろうじて免れていた(pp.53-54)。 グレーバーの名前の付いた通り、コンラート・グレーバー・シュトラーセ(Conrad-Gröber-Straße)はもともと名称変更の対象となるカテゴリーAに入れられていた(「シュトラーセ(Straße)」は「通り」を意味するドイツ語)。しかし今述べたようなナチズムに対する批判的姿勢が、彼の当初のナチス支持と反ユダヤ主義を上回る価値をもつということで、委員全員の賛成によりカテゴリーB に格下げとなった(p.54)。委員会はカトリック教会には一定の配慮を示したということだろうか。 カテゴリーBにはもう一人、ハイデガーと因縁のある人物が含まれている。それは1953年にノーベル化学賞を受賞した化学者ヘルマン・シュタウディンガー(1881-1965)である。彼についてもナチズムへの追従が問題となった。しかし報告書によると、それをどう評価するかは難しい。というのも、彼は第一次世界大戦中の平和主義的な態度により、1933年のナチスの政権掌握後、当時学長であったハイデガーによって州政府に告発されたからである。その結果、彼は二度の聴取を受け、辞職願を出さざるをえなくなった。ただし化学産業の有力筋の介入もあり、辞職願は預かりのままとなった。免職は逃れたものの、いつでも辞職願が受理できる状態であったため、彼の大学教員としての地位は不安定であった。彼は自分の研究を続けるために従順な態度を示す必要があった。彼は1935年に親衛隊の賛助会員になった (p. 76-77)。 つまりシュタウディンガーがナチズムに取り入ったのは、ハイデガーの告発によって彼の大学での地位が脅かされていたことが背景にあったということだ。その分、情状酌量の余地があるというのであろう。しかしハイデガーを悪者にするだけでは済まない問題もあった。それはシュタウディンガー自身があからさまに反ユダヤ主義的な姿勢を示し、また戦争協力も積極的に行っていたという点である。 報告書によると、シュタウディンガーは自分の高分子化学の構想に対する反対者との論争において、自身をユダヤ人の陰謀の犠牲者と見なしていた。またドイツの大学にはユダヤ人の学生はもはや在籍しておらず、ところどころに数人の「半ユダヤ人(Halbjude)」がいるだけであったが、シュタウディンガーは1942年に学長や帝国教育省で「あまりに多くの混血」がいると苦情を述べたという。帝国教育省はこれらの「ユダヤ人混血」は省の認可によって大学で学んでいるのだと彼に言って聞かせなければならなかった(p. 77)。 シュタウディンガーの研究所は、「戦争化学」研究を遂行し、大学においては物理学研究所と並んで、戦争にとってもっとも重要であると認められていた。産業界やドイツ学術協会の資金が潤沢に流れ込み、その結果、シュタウディンガーは1940年にフライブルク大学に高分子化学研究所を設立できた(p. 77) 以上のような所見に基づいて、報告書はシュタウディンガーシュトラーセ(Staudingerstraße)の扱いについて次のように述べている。彼はフライブルク大学在籍中から高い敬意を集め、世界的に知られる化学者として大きな功績をもち、ノーベル賞も受賞した。こうした功績にもかかわらず、国民社会主義に取り入り、戦争に役立つ研究を行ったことは重大である。よって委員会は、道路名に彼の反ユダヤ主義と軍事科学的研究について記した補足標示版を付すことに全員一致で賛成する(p.77)。 このシュタウディンガーについては、歴史学者フーゴ・オットがハイデガーの伝記(『マルティン・ハイデガー 伝記への途上』、1988年刊)で、彼に対する告発を学長ハイデガーの悪質な政治的陰謀としてクローズアップして以来、ハイデガーの迫害による被害者というイメージだけが広まっていた。そのシュタウディンガーも実はいろいろと後ろ暗い過去をもっていた点については、私も『ハイデガーの超‐政治』で詳しく論じたことがある[3]。上で紹介した報告書で、シュタウディンガーの問題にも光が当てられているのは、人物の評価がそれなりに公平に行われた証左と言える。 さて、以上でハイデガーと縁のあったグレーバーとシュタウディンガーという二人の人物が報告書でどのように取り上げられているのかを見てきた。この二人はかろうじて道路名からその名前が外されずに済んだ。これに対して、ハイデガーは散歩道からその名前が消されるという憂き目に遭った。最初の二人と比べて、ハイデガーに対する量刑が著しく不当だと言うつもりはない。ナチスの政権獲得後、ただちに彼が政権を支持して学長に就任したことは、彼がすでに当代随一の哲学者として名声を博していただけに、ナチスのプロパガンダへの貢献度も大きく見積もられても仕方がない。また彼自身の意図がどうであろうと、指導者原理の導入を積極的に図り、結果的に大学のナチ化を促進したことも否定できない。 とはいえハイデガーの学長時代の活動は、本連載でこれまで繰り返し取り上げたように、彼独自の学問論的思索によって規定されており、その思想的立場はナチズムの公式イデオロギーと同じものではなかった。ハイデガーは大学運営に大きな影響力を行使するようになったナチ政権公認のドイツ学生団が唱える「新しい学問」が、実は「古い学問」の焼き直しでしかないと捉えていた(第12回「「学問の危機」論争の行方」を参照)。それゆえ彼は学長という指導的立場から、学生たちを真の意味での学問の刷新へと導こうと試みたのである。彼の所見で問題とされていた「指導者体制」の導入も、こうした学生たちへの指導を強化するために行われたものである。 しかしこうしたハイデガーの試みは実を結ばなかった。前々回の記事でも見たように、学生たちが大学改革を実現するために学内で熱を上げていたのは、ユダヤ人教授の排斥であった。このような学生たちに対して、ユダヤ人を大学から追い出すことは大学の刷新にとって本質的なことではない、そのためには学問の本質についての哲学的省察が必要なのだと説いたとして、これに耳を傾ける学生はどれだけいただろうか。 ハイデガーは学長になってから、ほどなくして学生たちの指導が不可能であることを認識した。そうである以上、彼には学長職にとどまる理由はもはや存在しなかった。こうして彼は学長就任後、一年も経たないうちにその職を辞するのである。ハイデガーは当初から、ナチズムが思想的に大きな欠陥をもつと見なしていた。それゆえに、ハイデガーはナチズムを自身の哲学に即して内側から変革することを目指したのである。こうしたナチズムの内的変革を担う存在として期待していた学生の指導に失敗したとき、彼にはもはやナチズム運動に肩入れする理由はなくなってしまう。これ以降、彼はこれまでの思想的立場をまったく変えることなく、まさに同じ立場に基づいてナチズムを批判することへと転じるのである。 フライブルク市の報告書はナチズムが悪であることを自明の前提としている。しかしナチズムとはいったい何であって、そのどのような点が悪だというのだろうか。ナチスが人種主義に基づいて、史上類を見ない大量殺戮を犯したことは事実である。そうであるとして、この人種主義の問題はどのような点にあるのだろうか。ホロコーストのような大量殺戮をもたらすのは人種主義や反ユダヤ主義だけであろうか。その他の主義や思想が要因となることはないのだろうか。 報告書の見方にしたがえば、ナチズムは絶対的に悪であり、したがってそれを支持したハイデガーもその悪の加担者でしかない。そして報告書はナチスを支持した哲学者の思想はナチズム的であるはずだという素朴な推論に基づいて、ハイデガーの思想をナチズムと同一視する。このことによって、彼がナチズムの思想的な欠陥を見ていたがゆえに、その内的な変革を試みたという彼の学長職受託の動機がまったく見えなくなってしまう。 このように現代では、ナチズムや反ユダヤ主義が絶対的に悪であることを自明の前提として、それを肯定したと疑われる者から距離を取ることが道徳的義務であると見なされている。こうした考え方は今日の国際社会にも規定的な影響を及ぼしている。たとえばロシアは2022年2月にウクライナへの軍事侵攻を開始した。この戦いは2026年の今でも終わる気配を見せていない。ロシアがウクライナの目的として掲げていたのが、同国の「非ナチ化」、すなわちナチズムの排除であった。ここではナチズム排除という名目が他国の政権を転覆して、その国を事実上の支配下に置くことの正当化に利用されたのである。 また2023年10月にはイスラエルがパレスチナの軍事組織ハマスによるテロに対抗して、ハマスが本拠とするガザ地区に対して大規模な軍事作戦を開始した。その際、市街地への攻撃や経済封鎖などにより民間人に多くの犠牲者が出たため、イスラエルによる報復の行き過ぎに対する非難が国際社会に湧き起った。イスラエルはこうした自国の軍事行動に対する非難を反ユダヤ主義だとして退けてきた。さらに過去の反省からイスラエル国家の護持を「国是」とするドイツにおいても、イスラエル批判は反ユダヤ主義的であると見なされて、基本的に認められていない。実際に学者や文化人がイスラエルを批判し、ないしはパレスチナ人に連帯を表明したために、公的行事から「キャンセル」されるといったことがしばしば起こっている。このようにイスラエルやその擁護者が、自分たちを批判する者を反ユダヤ主義者と認定することは、イスラエルの軍事行動や入植政策への非難に対する強力な防護壁として機能している。 以上で見たように、現代の国際政治においては自分の敵対者や批判者にナチズムや反ユダヤ主義というレッテルを貼ることが、自分に対する批判からその正当性を奪い取り、自分が主体性を自由に発揮できる状態を確保するための常套手段となっている。皮肉なことは、このような仕方でフリーハンドを得て実行されている行動が決して「善い」ものではなく、むしろナチスのふるまいを彷彿とさせるものになっていることである。つまりナチズムや反ユダヤ主義というレッテルを相手に貼ることが、ナチズム的なものを助長しているという現象がここには見られるのである。ナチズムは絶対的な悪だということを自明とする言論空間が、そのようなレッテル貼りが絶大な効果を発揮する温床となっている。 そうだとすれば、われわれは単にナチズムを悪と決めつけるだけにとどまらず、そもそもナチズムの何が問題であったのか、その悪はいったい何に由来するのかを問うことが必要であろう。実はこうした問いこそ、ハイデガーが1930年代終わり以降、おのれの哲学的思索の中心的な課題に据えたものだった。彼はその答えを「主体性の形而上学」のうちに見いだした。近代的主体性はおのれの主体性という本質に忠実であろうとする限り、自己に対する外部からの制約は絶対に認めない。その結果、主体性はおのれの支配領域の際限ない拡大を目指す「力」という性格をもつことになる。ハイデガーはこうした主体性の本質の留保なき発動をナチズムのうちに見て取った。今述べたような視点から、彼はナチスへの全権委任が主体性への全権委任であったと解釈するのである。 もっともハイデガーによると、このように主体性を本質とするのはナチス国家だけでなく、他の近代国家も同じである。こうした所見に基づいて、彼は戦争が終結したあと、ナチス体制の崩壊にもかかわらず、その悪の本質である主体性の形而上学はそのまま温存されていると警告し続けるのである。この主張によって彼は、ナチズムの崩壊とともに悪が一掃され、善なる秩序が回復されたという戦後社会の公式的な自己理解に異を唱え、近代国家の主体性という本質それ自身に由来する悪を直視することを求めたのである。 道路名の再検討委員会の初回の会合で、フライブルク市側の参加者だった文化局長が道路名の評価基準として「少数派の迫害、独裁制、軍国主義、ナショナリズム、国粋主義、植民地主義、反ユダヤ主義への関係」を例示したことについては前回の記事ですでに触れた。報告書によると、彼はその際「今日の道徳や法の捉え方が、唯一妥当する評価基準でありうるのか」という問いを留保として付け加えた。報告書はこの指摘を次のように評している。「これによって彼は評価の決定的でもっとも困難な点に触れた。これは委員会の仕事全体をも規定することが見込まれるものであった。このように初回の会合では、拘束力をもつ基準が見つかるのかという懸念も表明されたのである。」(p.3) 正当な懸念だと言えよう。実際、今示したハイデガーの思索は「今日の道徳や法の捉え方」が決して価値中立的なものではなく、ある特徴的な気遣いによって拘束されていることを暴いている。その気遣いとは、ナチズムの悪の比類なさを強調することで、ナチズムの悪の根拠をなす主体性の形而上学が現代社会に遍在することから目をそらし、そのことによりおのれの主体性の妨げられることのない発動の可能性を確保すること、これである。 委員会は残念ながら、このような徹底した自己省察を遂行するには至らなかった。もっとも委員会の学者たちに、ハイデガーの哲学的テクストから上で示したような彼の洞察を読み取ることを求めるのは酷かもしれない。というのもハイデガーの専門家でさえ、その多くが彼の哲学のそうした含意を読み解くことはできていないからである。 たとえそうだとしても、ハイデガーに対する社会的評価がここ二、三十年で大きく変わったように、ナチズムに対するもっとも根本的な哲学的省察に基づいて、ナチズムの本質をなす主体性の形而上学が現代社会においてなお規定的であることを見て取ったハイデガーの慧眼が認められる時代がやがて訪れるかもしれない。そうなった暁には、委員会の学者は同時代の「政治的正しさ」に追従することによって、ナチズムや反ユダヤ主義との戦いを標榜する主体性の暴力を醸成したことについて、後世から「重大な負い目あり」と評価されることになるだろう。 [1] Abschlussbericht der Kommission zur Überprüfung der Freiburger Straßennamen, 2016. https://www.freiburg.de/pb/site/Freiburg/get/params_E1314141498/2470457/Strassennamen_Abschlussbericht.pdf [2] ゼップ・アルガイアー・シュトラーセ(Sepp-Allgeier-Straße)。ゼップ・アルガイアー(1895-1968)は映画カメラマンで、レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)が監督したナチスのプロパガンダ映画「意志の勝利」の撮影監督を務めた。報告書ではそうしたプロパガンダ作品における卓抜したカメラワークにより、ナチスの美化とヒトラーの神聖化に多大な貢献をしたことが道路名の改称の理由とされている。 [3] 拙著『ハイデガーの超‐政治 ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い』明石書店、2020年、121頁以下を参照。 轟 孝夫 経歴 1968年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。
現在、防衛大学校人文社会科学群人間文化学科教授。
専門はハイデガー哲学、現象学、近代日本哲学。
著書に『存在と共同—ハイデガー哲学の構造と展開』(法政大学出版局、2007)、『ハイデガー『存在と時間』入門』(講談社現代新書、2017)、『ハイデガーの超‐政治—ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い』(明石書店、2020)、『ハイデガーの哲学—『存在と時間』から後期の思索まで』(講談社現代新書、2023)などがある。
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