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第23回 ハイデガーと学生運動 ― 長崎浩の批判への応答

もうかなり前のことになるが、評論家の長崎浩(1937-)から『他力という力 叛乱論終章』[1]をご恵贈いただいた。著者とは面識なく、名前も存じ上げなかった。略歴を見ると「第一次共産主義者同盟で活動、東大全共闘運動に助手共闘として参加」とあり、著作も1960年代の学生運動の意義をめぐるものを中心に多くの政治論集を上梓されている。学園紛争や左翼運動の全盛期に一世を風靡された方であったに違いない。

長崎は『他力という力』の「能動的ニヒリズム ハイデガー 轟孝夫のハイデガー論によせて」と題された章で、私のハイデガー解釈、とりわけ「ハイデガー・ナチズム問題」の扱いに対して批判的考察を展開している。自説への批判に対する恐怖心が強いため、なかなか直視する勇気が出なかった。さすがにこれ以上、後回しにするわけにはいかないと思い、最近ようやく検討に着手した。以下にその結果を記すことにしたい。

1960年代にはじめてハイデガーを読んだ長崎にとって、その思想は研究対象ではなく、「ひとつの事件」であったという(p.189)。つまりハイデガーの哲学は学生たちにとっては何よりも「政治行動への哲学的アジテーター」であった(p.192)。このことの意味について、長崎はより具体的に次のように説明する。ハイデガー思想の次の四つの論点、すなわち「(1)『存在と時間』のハイデガーがある時期ドイツ流儀の実存主義的アジテーターであったこと、(2)その思想における「無の存在論」、(3)これに関連する「能動的ニヒリズム」、加えて(4)技術論・労働論にもとづくマルクス(主義)形而上学の批判」が、「ドイツでも日本でも、青年たちの「近代批判」「反近代」の政治運動として、つまりは事件として経験された」(p.191)。

長崎によると、私のハイデガー研究はこうした「事件としてのハイデガー」を構成する四つの論点にまったく触れていない (p.191)。たしかに既存のハイデガー研究には、ハイデガーの哲学が同時代の学生たちによってどのように受け止められていたかという視点が決定的に欠けていたのは事実である。しかし私自身はそうした状況に異を唱えて、ハイデガーと学生の関係性に注目し、それがハイデガーのナチス加担の背景にあったことを拙著や本連載で折に触れて示してきた[2]

そこで明らかとなったのは、ハイデガーの思想が青年運動や学生運動の基調をなしていたドイツ・フォルクの刷新への要求に哲学的根拠を与えるものとして受容されていたということである。ハイデガーは1920年代には学生たちにとって思想界におけるカリスマ的指導者になっていた。1933年にナチスが権力を掌握したとき、学生たちは大学において自分たちの改革要求を貫徹しようとして執行部の手に負えないものとなった[3]。そうした状況のもと、学生の信望を集めていたハイデガーは同僚たちから事態の収拾を期待されて、学長に選出されたのである。

このようにハイデガーと学生の関係については、ハイデガーのナチス加担の背景としてこれまで繰り返し論じてきたので、ハイデガー思想が学生にとって「事件」であったという視点が私の解釈に欠けているという長崎の批判は不当に感じられる。しかし他方で、ハイデガー哲学のどのような点が学生たちにアピールしていたかということについては、私自身なお完全に腑に落ちていたわけではなかった。また日本の学生運動においても、学生たちのあいだでハイデガーがよく読まれていたということは聞いたことがあった。しかしハイデガー思想のどの側面が彼らの興味を惹いていたのかは詳らかではなかった。したがってそれらの点については、長崎の証言から多くのことを学ばせていただいた。

拙著でハイデガーのナチス加担の背景としてドイツの学生運動に触れたとき、日本の学園紛争と状況が似ているのではないかという思いが頭をよぎったこともあった。実際、ハイデガー自身、1960年代に全世界で吹き荒れた大学闘争と1933年の学生運動の類似性を指摘している。フランス人の評論家ジャン=ミシェル・パルミエ(1944-1998)から『ハイデガーの政治的著作』(1968年刊)を恵贈されたハイデガーは、それに対する礼状(1969年1月10日付け)で次のように述べている。

同僚たちによる(ほぼ)全会一致での学長への選出を受け入れるよう、私を当時、動機づけていたのは、後にひどく裏切られたヒトラーに対する希望だけではありませんでした。これと同じくらい決定的だったのは、国民社会主義を国民的な社会主義●●●●●●●●へと発展させ、国民社会主義のうちにある精神的な●●●●潜在力を発揮させることの支援に、大学の教員団を誘い入れられるだろうという期待でした。しかしこの期待も満たされませんでした。大学は硬直し、世界情勢への洞察を欠いたままでした。今日も状況はよく似ています。今になってふたたび、いたるところで学生たちから突きつけられている数多くの要求は、1933年に大学生の青年によって主張されていたのです。[4]

ここでは1960年代の学生運動とナチス時代のそれとの類似が語られている。しかしそれだけでなく、学長職の失敗についての興味深い自己分析も示されている。それによると、彼は国民社会主義、すなわちナチズムを「国民的な社会主義」へと発展させることを目指していた。これはナチズムの人種主義的なフォルク理念を自身の哲学に即したフォルク概念に変貌させることを意味するだろう。学生をその方向へと教化するために教員団の助力を得ようとしたが、それに失敗したと言うのだ。

ここからわかるのは、ハイデガーは学生たちの要求を真摯なものとして受け止めつつ、それをそのまま認めるのではなく、そこからなお「精神的な潜在力」を引き出す必要があると見なしていたことである。長崎は『他力という力』において、ハイデガーと学生の「共闘」についてしきりに語る(p.225)。このように言うと、ハイデガーと学生の立場が一致していたように聞こえるが、それは実態に即していない。長崎が「ハイデガー思想の四つの論点」として語っていたものは、学生たちがハイデガー思想をどのように捉えていたかを示してはいるだろう。しかしそれがハイデガー哲学の核心を射当てているかと言えば、そうではない。ハイデガーの思想にとって固有のものは、その四つの論点を超えたところにある。それはハイデガーが「存在」として主題化しようとしていたものに関わっている。逆に言うと、学生たちがハイデガーの思想として受け止めた「四つの論点」においては、この「存在への問い」が度外視されている。このことを以下で四つの論点に即して具体的に見ていくことにしよう。

長崎が一番目の論点として挙げているのが、『存在と時間』のハイデガーが「ドイツ流儀の実存主義的アジテーター」であったことである。本連載では『存在と時間』が単なる実存主義の書ではないことを繰り返し指摘してきた。ハイデガー哲学において「実存」とは、現存在がおのれ自身ではない「存在」に晒されていることを意味する。存在者の「存在」はそれぞれ固有の「世界」に根ざしており、その世界はそこにおいてフォルクの生が繰り広げられる場所である。したがって、おのれの実存に対する「先駆的覚悟」はフォルクの運命に開かれることに帰着する。『存在と時間』を実存主義的アジテーションの書として捉えるとき、今述べたような実存と「存在」との関係性、ひいてはこうした「存在」とともに開かれるフォルクの世界が見落とされている。

私は既存の『存在と時間』解釈が人生論的な水準にとどまっていることをかねてより批判してきた。それに対して長崎は、拙著の『存在と時間』解釈もしょせんは人生論的解釈でしかないと一刀両断する(pp. 193-194)。つまり彼が四つの論点に示しているようなハイデガー思想の政治的インパクトが、そこでは捉えられていないと言うのである。『存在と時間』で展開されているのが現存在、すなわち人間存在の分析である限り、それについての記述が人生論的含意をもつのは当然である。しかし私は『存在と時間』における現存在の諸様態の分析は単なる人生論にはとどまらず、つねに「存在」との関係性が問題になっている点にも注意を促してきた。逆に長崎のハイデガー解釈にとって「存在への問い」が盲点になっているため、私の議論から人生論しか読み取ることができないのである。そして長崎の実存主義的アジテーターとしてのハイデガーという捉え方自身、「存在への問い」を度外視する『存在と時間』の人間学的解釈にとどまっている。

私のハイデガー解釈が素通りしていると長崎が批判する二番目の論点が、『存在と時間』の「無の存在論」であった(p.198)。この「無」は長崎も指摘するように、『存在と時間』では「不安」において開示されるものである。実はハイデガーの哲学において「無」は「存在」そのものを意味する。不安も根本においては、現存在が「存在」に直面させられている情態である。したがってハイデガーの「存在」が何を意味するのかの解明を目指している拙論が、ハイデガー的意味での「無」を問題にしないことはありえない。逆に長崎はハイデガーの哲学において「無」が「存在」に他ならないことを把握できていないため、私が「無」の問題を扱っていないと誤認してしまうのである。

長崎から見て、私のハイデガー論が欠落させている三番目の論点が「能動的ニヒリズム」である。長崎は私がニーチェのニヒリズム論を取り上げていないと非難する(p.203)。どうやら長崎はハイデガーのニヒリズム論がニーチェのニヒリズム論の否定の上に成り立っていること、すなわち両者のニヒリズム解釈が根本的に異なることを理解できていないようだ。

長崎もハイデガーが西洋形而上学全般をニヒリズムと見なしていることは把握している。しかし問題は、ハイデガーがなぜ西洋形而上学をニヒリズムと見なすのかということだ。ハイデガーはニヒリズムをあくまで「存在の思索」の立場から解釈する。つまり彼はニヒリズムの本質を端的に「存在そのものが無となる歴史」と規定している[5]。この観点に従えば、ニヒリズムの克服は「存在」の到来を待たねばならないことになる。それに対して、ニーチェがその復権を唱える生、すなわち「力への意志」は世界を表象する主観性でしかなく、ハイデガー的意味での「存在」には完全に閉ざされている。したがってニーチェにとってニヒリズムの克服であったものは、ハイデガーから見れば、なお存在忘却という意味でのニヒリズムでしかなかった。ハイデガーがニーチェの「価値の転換」を形而上学の克服ではなく、「形而上学の完成」であると批判するゆえんである。

ここで注意しておきたいのは、今述べたようなハイデガーのニーチェ批判はナチズムに対する批判でもあり、ひいては1933年の学生運動に対する批判でもあったということである。それらの反近代の運動が近代性を促進するものでしかなかったというのが、ハイデガーの批判の要点である。近代批判が近代性を強化し完成するという機制、これをニーチェの「力への意志」の形而上学が先行的に示していたというのがハイデガーのニーチェ解釈の基本構図である。

このように反近代が近代を加速させること、つまり支配的な秩序の転覆が近代的主体性の権力意志の無条件的な発動を助長するといった事情をハイデガーは「反乱の憤激」という表現によって言い表している。この「反乱の憤激」は1945年のドイツの降伏前後に書かれた対話篇(「ロシアの捕虜収容所での年少者と年長者のあいだの夜の対話」、『野の道の対話 ハイデガー全集第77巻』所収)に見られる言い回しであり、拙著『ハイデガーの超‐政治』でも取り上げた[6]。この表現は長崎の心をとらえたようで、彼はナチズムを支持したドイツの青年たち、また「全共闘」の学生の心情と行動を示すキーワードとしてこの語を用いている(pp.221-223)。

ハイデガーは学長の辞任後しばらくして、かつて自分自身が関与して痛い火傷を負ったナチズム運動の本質を「反乱の憤激」と解釈するようになった。したがって長崎がこの語によってナチズム運動の動向を捉えようとするのは、ある意味で正当である。しかし長崎が「反乱の憤激」を学生とハイデガーの「共闘」(p.225)と見なしているのは誤りである。ハイデガーの思想や行動が「反乱の憤激」を結果的に助長したとは言えるかもしれない。しかし彼が学長として目指していたのは、学生たちを自身の哲学によって導くことであった。

ハイデガーのこうした努力は彼の学長就任演説「ドイツの大学の自己主張」をはじめとする学長期の言説に明瞭に示されている。ハイデガーはフォルクの根拠を風土的自然(ピュシス)に求め、その開示を「学問の本質」と規定した。そして学生たちに「古い学問」に代わる「新しい学問」として、こうした「学問の本質」を意志することを要求した。

もっとも風土的自然を開示するのは学問だけにとどまらない。ハイデガーはこのような風土的自然の開示は、「労働」によってより根源的な仕方で担われていると考えていた。人びとは労働において風土的自然に晒し出され、この風土的自然を共有するフォルク共同体を形成する。ハイデガーは国民社会主義の国家はこうした労働によって基礎づけられた共同体でなければならないと説いた。ハイデガーがパルミエ宛て書簡で「国民的な社会主義」と呼んでいたものも、具体的にはこうした共同体論を指している。

さて、以上で見たようなハイデガーの共同体論は、彼の思想が単なる「無の存在論」にはとどまらない積極的な内実をもっていたことを示している。しかし長崎はこうしたハイデガー流の労働者国家を「ローカルで農本的な政治・倫理的な小共同体」、「アナクロ共同体」と酷評する(p.227)。つまり長崎はハイデガーの共同体論が「存在への問い」の必然的帰結であることを見て取れず、単なるハイデガーの個人的な嗜好という水準でしか捉えられない。このように長崎がハイデガーの共同体論をまったく理解できていないのと同様に、ドイツの大学生にもその理解は難しかったに違いない。学生とハイデガーの関係は共闘というよりは、同床異夢の関係と捉えるべきであろう。

長崎は私が見落としているハイデガー思想の四つ目の論点として「技術論・労働論にもとづくマルクス主義形而上学の批判」を挙げていた。しかし上で紹介したハイデガーの労働論を拙著『ハイデガーの超‐政治』で取り上げたとき、私はその議論がマルクス主義的な労働観に対する批判であったことを指摘している[7]。また同書では1930年代終わりにハイデガーが展開した「コミュニズム」批判についても詳しく論じている[8]

ハイデガーが「コミュニズム」と呼んでいるのは、自然や人間をおのれの「力」の強大化のために根こそぎ動員する近代的主体性そのものの動態である。彼は近代国家の本質をこうした意味でのコミュニズムに見出すわけだ。それゆえこうしたコミュニズムは現存した共産主義国家の体制だけを指すわけではない。もちろんソ連はハイデガー的意味でのコミュニズムの範例的な存在ではあるが、彼にとってはナチス国家や他の民主主義国家もそれと異なる本質をもつものではなかった。しかしいずれにせよ、ハイデガーがマルクス主義を西洋形而上学の袋小路を脱するものではなく、むしろその帰結でしかないと批判的に捉えていることは確かである。

長崎も拙著を参照して、ハイデガーのコミュニズム論の内容を紹介している(pp.228-229)。それにもかかわらず、私がハイデガー哲学におけるマルクス主義形而上学への批判を無視していると非難するのは解せない話である。しかも長崎は、ハイデガーのコミュニズム論は「政治の思索」ではないと評している(p.231)。長崎曰く、「世界情勢のなかのナチス国家、国家とナチス党の政策と振る舞い、民族浄化、戦争の実際、大戦中の国際政治の相克、つまりは内外の政治情勢に関しての具体的で批判的な言及が、ハイデガーには皆無である」(p.230)。ハイデガーがコミュニズム論を展開したのは、まさに第二次世界大戦が始まった直後であった。当時のナチス国家、さらには国際政治の動向を念頭に置きつつ、戦争を駆動しているのは、その当事者が掲げている政治的理念ではなく、おのれの権力の伸長だけを目指す主体性の自己破壊的本性だと喝破したのである。こうした議論が当時の「内外の政治情勢に関する具体的で批判的な言及」ではないとどうして言えようか。

以上で示したように、私は長崎の言う「ハイデガー思想の四つの論点」のうち、どれひとつとして素通りしていない。ハイデガーの「存在への問い」を解明するにあたって、必要に応じてそれらに触れていた。逆に長崎の方が四つの論点を「存在への問い」と完全に切り離して捉えており、結果的にそれら四つの論点がハイデガー思想においてどのように位置づけられるかを捉え損なっている。長崎にとって「存在」はそれこそ「無」でしかないのであろう。こうして長崎はハイデガーの思想を「無の存在論」として捉えることしかできない。このためハイデガーが学長時代に「存在への問い」によって学生を導こうとしていたことも見落とされて、ハイデガーと学生の関係は単なる「共闘」と解釈されてしまう。

以上で見てきたように、長崎のハイデガー解釈は結局、ハイデガー哲学の核心を捉えることができていない。しかし1933年におけるドイツの学生、さらには1960年代の学園紛争時代の日本の学生がハイデガー思想を長崎が述べるような仕方で受け止めていたことは事実であろう。私はこれまでハイデガーと学生の関係について随所で論じてきたが、ハイデガーが学生たちになぜあれほどまで崇拝されたのかが完全には腑に落ちていなかった。その点を長崎の論考は明らかにしてくれた。本連載でもたびたび述べているように、ハイデガー・ナチズム問題に関する私の考察はこれまで読者に「素通り」されがちで、正面からの批判を受ける機会があまりなかった。今回、長崎が拙論に対して忌憚ない意見を述べてくれたおかげで、ハイデガーと学生の関係についてこれまでよりも認識を深めることができた。長崎には心よりお礼申し上げたい。


[1] 長崎浩『他力という力 叛乱論終章』月曜社、2024年。以下、同書の参照箇所は本文に頁数のみを記載する。

[2] 本連載第7回「ハイデガー vs. ヴェーバー」、第12回「「学問の危機」論争の行方」などを参照。

[3] その具体的状況については、本連載第20回「ナチ時代の学問と反ユダヤ主義」を参照されたい。

[4] Martin Heidegger, Reden und andere Zeugnisse eines Lebensweges, Gesamtausgabe, Bd.16, Frankfurt am Main, 2000, S. 697.

[5] Martin Heidegger, Nietzsche II, Gesamtausgabe, Bd.6.2, Frankfurt am Main, 1997, S. 304.

[6] 拙著『ハイデガーの超‐政治 ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い』明石書店、2020年、261頁以下。

[7] 『ハイデガーの超‐政治』、95頁。

[8] 『ハイデガーの超‐政治』、222頁以下。


轟 孝夫 経歴

1968年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。
現在、防衛大学校人文社会科学群人間文化学科教授。
専門はハイデガー哲学、現象学、近代日本哲学。
著書に『存在と共同—ハイデガー哲学の構造と展開』(法政大学出版局、2007)『ハイデガー『存在と時間』入門』(講談社現代新書、2017)『ハイデガーの超‐政治—ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い』(明石書店、2020)、『ハイデガーの哲学—『存在と時間』から後期の思索まで』(講談社現代新書、2023)などがある。

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